ラビユ ル・アッワル(イスラム暦)3月8日(今年は西暦12月8日)は、シーア派11代目イマーム “イマーム ハサン アスカリー(AS)”の殉教日です。
イマーム ハサン アスカリー(AS)は、イマーム職就任期間中アッバース朝カリフのアル・ムタミドの手によって何度も投獄されたと、シェイク・サドゥークは伝えています。
殉教前夜、イマームはマディーナの人々に宛てて多くの手紙を記しました。
ヒジラ260年(西暦872年)のこの日に、イマームは28歳の若さでこの世を去り、殉教の名誉を得ました。
この若くしてこの世に別れを告げたイマームの「イマーム職就任期間」はわずか6年間でした。
サーマッラーの人々は殉教の知らせを受けると、全てのバーザールは閉鎖され、皆がイマームの家の傍らに集まりました。
イマームの家の中には、アッバース朝カリフのアル・ムタミドのスパイとイマーム アリー(AS)の追従者であるハーシム家の人々がいました。
サーマッラーの至る所に、イマームの死を哀しむ嘆き声と泣き声が溢れました。
イマームの息子で12代目イマームである“イマーム マハディ(AJ)”が清らかなイマームに「死者のためのグスル(大沐浴)」を行い、死装束を着せてから死者のための礼拝を行いました。
イマームの聖廟は、イラクのサーマッラーにあります。
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