بسم الله الرحمن الرحیم
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
ラマダンは大変に重要な月です。この月が始まる前に知っておきたい事柄を理解するために、ラマダンに関するクルアーンの節やアフルルバイト(AS)の言葉を注意しながら読むことにしましょう。
Q:なぜラマダンが、それほどに重要なのでしょうか?
A:この月に人類の導きの書“クルアーン(コーラン)“が聖預言者に下されたこと。そして、この月には1000月(80年)に勝る“みいつの夜“があることがなどが挙げられます。
人々が聖預言者ムハンマド(SAW)に、「昔の人々は、寿命が長かったので来世の為に崇拝行為を行う時間がたくさんあって、十分に備えることが出来た。けれども私たちの寿命は短い。」と言った時、彼はこのように仰いました。「神は、私の民に1000月に勝る夜を設けられた。」
シーア派4代目イマーム サッジャード(AS)が記された“サヒーフェ サッジャーディーエ“の(45)にはこのようにあります。「サラーム!いかなる月(ラマダン以外の11月のこと)もあなたと競うことが出来ない月(ラマダン)よ!」
私たちは、このような重要な月に入ろうとしています。私たちがこの月による益を得るために必要なことは“この月について知ること“です。
この月が、なぜそれほどに重要であるのか?どのような価値がこの月にはあるのか?この月における私たちの義務は何か?この月についての私たちの見解はどうあるべきなのか?など
この月における重要行為のひとつは“断食(斎戒)*“です。
クルアーン 第2章(バカラ)183節にはこのようにあります。
يَا أَيُّهَا الَّذِينَ آمَنُوا كُتِبَ عَلَيْكُمُ الصِّيَامُ كَمَا كُتِبَ عَلَى الَّذِينَ مِنْ قَبْلِكُمْ لَعَلَّكُمْ تَتَّقُونَ ﴿۱۸۳﴾
183.「信仰する者よ、あなたがた以前の者に定められたようにあなたがたに断食(斎戒)が定められた。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。」
الصِّيَامُ:(スィヤーム)断食(斎戒)*とは:欲望に由来する言動を慎むことにより心身を清める行為。
現世と来世の関係は、子宮と現世の関係に似ています。
胎児は現世に必要なものを母の胎内(子宮)にて準備します。胎児は自分の好み(任意)で子宮における過ごし方を決定するのではなく、やがて誕生する場所“現世“の環境に合わせて必要とされるもの(心臓、消化器官、視聴覚器官など体のすべての部位)を母の胎内でそろえなければなりません。例えば、肺は母の胎内においては必要とされません。しかし胎児は現世に誕生するためにそれらを準備します。それが必須であるからです。
母の胎内から出たあとの現世の環境は、どの胎児に対しても同じように定められています。健全な体の取得を目指して胎児たちは子宮での9か月を過ごしますが、個々の母の胎内におけるプロセスによって虚弱、病気、障害、健全など、その誕生の形は様々なものとなります。現世における健康(五体満足)の評価基準は身体的なものです。
現世から来世も同じようなもので、来世に必要なものを私たちはこの現世でそろえなければなりません。なぜなら、来世の環境は私たちが現世をどのように過ごすかに左右されることなく確定されているものであるからです。来世は永遠で終わることがありません。私たちは現世での寿命を終えたあとそのような環境に誕生するために、現世にいる間に必要なものを準備しなければなりません。もし、私たちが来世のため準備しなかったとすれば過失は自分自身にあるのです。つまり、欠陥をもって来世に生まれることになるのです。
私たちは来世に現世の身体を持っては行けません。必然的に来世での評価基準は身体的なものではない、ということが出来ます。来世における私たちの評価基準となるものは私たちの心(魂)です。
これに関して、クルアーンにはこのようにあります。
يَوْمَ لَا يَنْفَعُ مَالٌ وَلَا بَنُونَ ﴿۸۸﴾
إِلَّا مَنْ أَتَى اللَّهَ بِقَلْبٍ سَلِيمٍ ﴿۸۹﴾
88.その日には、財宝も息子たちも、役立たない。
89.健全な心(魂)を、アッラーに捧げる者だけは別である。
この基準を明らかにするのは誰であるのか?万有(現世も来世も)を創造された神(アッラー)がそれを明らかにされます。
健全な心(魂)とはどのようなもので、逆に不健全な心(魂)とはどのようなものをいうのでしょうか?
健全な心(魂)とは、その傾向や在り方が動物的なものではなく神的価値が支配する心(魂)、つまり神の命に従う心(魂)のことです。
人間の内面にはその両側面が存在し、私たちは両方から引っ張られています。人間には動物的側面も存在すると同時に、動物にはない“人間のみの優れた側面“があります。これゆえに人間は人間であるということが出来ます。そうでなければ、動物と変わりはありません。それどころか人間は動物以下の存在にもなりうるものなのです。
人間は無限の能力があり、すべての側面において完成を目指すことが出来ます。つまり、神に近い存在にすらなり得るのです。
「あなた方に断食(斎戒)が定められた。」クルアーン2章183節で、神は断食(斎戒)による影響・成果を“タクワー(神を畏れること、畏敬)である“と説明しています。タクワーとは物質的なものではありません。
「断食(斎戒)を行うことでどうなるんだ?」という問いが私たちの頭に浮かぶかもしれませんが、私たちはその影響を物質的な生活においてではなく、永遠で神的である精神的側面に著しく見出すことが出来ます。
タクワ―とは、“本来あるべき姿ではない自分に対して真の自分が勝る力“のことで、人間の内部にある神的側面が悪魔的側面を征することを示します。
タクワーは、人間の価値の決定基準であり大変重要なものです。
これについてクルアーン 第49章アル・フジュラート(部屋章)13節にはこのようにあります。
إِنَّ أَكْرَمَكُمْ عِنْدَ اللَّهِ أَتْقَاكُمْ
アッラーの御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。
人の価値は動物的なものでは決まりません。(誰かよりも美しいこと、誰かよりも力強いことなどで競い合うのは、私たちが人間として生まれてきた以上、蜃気楼のようなコンテストである。私たちは、そんなことのために生まれてきたのではありません。)私たち人間は、人間として競い合うべきなのです。
これについて、クルアーン第56章21節にはこのようにあります。
سَابِقُوا إِلَىٰ مَغْفِرَةٍ مِّن رَّبِّكُمْ وَجَنَّةٍ عَرْضُهَا كَعَرْضِ السَّمَاءِ وَالْأَرْضِ أُعِدَّتْ لِلَّذِينَ آمَنُوا بِاللَّهِ وَرُسُلِهِ ۚ ذَٰلِكَ فَضْلُ اللَّهِ يُؤْتِيهِ مَن يَشَاءُ ۚ وَاللَّهُ ذُو الْفَضْلِ الْعَظِيمِ(21)
21.あなたがたは主からの寛容(を請うため)に、相競って努力しなさい。それは天地の広さ程の広大な楽園で、アッラーと使徒を信じる者のために準備されている。これはアッラーの恩恵で御心に叶う者にそれを授ける。本当にアッラーは、偉大な恩恵の主であられる。
人間が真に人間であるならば、神的価値に基づいて競い合うべきなのです。
タクワーにおいてより優れた人ほどより優れた人間であり、より人間としての価値があります。
また、“タクワーは私たちの行為が神によって受け入れられるかどうかの基準である“と言えます。神はあらゆる人の行為を受け入れられはしません。
クルアーン 第5章アル・マイーダ(食卓章)27節にはこのようにあります。
إِنَّمَا يَتَقَبَّلُ اللَّهُ مِنَ الْمُتَّقِينَ ﴿۲۷﴾
「アッラーは、ただ主を畏れる者からのみ受け入れられる。」
タクワーがないとすればその人の努力は無駄になるようなものです。なぜならタクワーにこそ価値があるからなのです。タクワーは人間の価値(人間性)決定の基準です。
タクワーは、本来あるべき姿ではない自分に対して真の自分が勝る力を人間に与えてくれます。タクワーによってのみ、そのようなことが可能になるのです。
神が、断食(斎戒)の影響・成果として明らかにされた“タクワー“は大変価値あるものである、ということになります。タクワーなくして人間は価値がない、すべての価値がタクワーの中にあるのです。
つまりタクワーとは①物質的な結果ではない②精神的な結果である③人間が手に入れることのできる最も価値あるものである。
バカラ183節で注意すべきもう一つの点は、「おそらく神を畏れるだろう」ということです。
つまり、“断食(斎戒)をするすべての人間がこの結果(タクワー)を得られるわけではない“ということです。事実、「必ず神を畏れる」とは述べられていません。
シーア派初代イマーム アリー(AS)はナフジュル バラーガの中でこれについてこのように記されました。
ربّ صائم لیس له من صیامه إلا الجوع والعطش"
断食(斎戒)を行う人々の、なんと多くの者が断食(斎戒)によって空腹と喉の渇き以外には何一つ益を得ないことであろうか!
なぜ、ラマダン(断食月)の30日間にわたる断食(斎戒)を行ってもその成果を得ることが出来ない人が多くいるのでしょうか?
それは、本来ある行われるべき形で断食(斎戒)が行われないからであるということが出来ます。
私たちは、空腹と喉の渇きという成果を得たいとは思っていません。神もまた私たちにそれを味合わようと考えてはおられません。神は私たちがタクワーを備え神的存在になること、つまり健全な心(魂)を持つこと、そこへ到達することを望まれているのです。そのために断食(斎戒)を行うように命じられたのです。
さらにこの節の「あなたがた以前の者に定められたように」という部分に注意してみましょう。
その通り、全ての人間は現世から来世に向かうプロセスを通過します。例外なく全員が永遠の来世における幸福・成功のために健全な心(魂)“タクワー“を必要としています。
タクワーを備えるための最高の道のひとつが断食(斎戒)なのです。それゆえに神は以前の者たちにも断食(斎戒)を義務として定められました。断食(斎戒)は、人間が動物的なあらゆる欲望と闘うために必要な行いなのです。
すべの人間にとって来世へのプロセスは共通であり、その過程で“タクワーを備えること“が必要となるからこそ、神はすべての人間にそれを命じられたのです。
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