Abna通信社の報道によると、260年(ヒジュラ暦)にイマーム・ハサン・アスカリー(AS)が殉教した後、シーア派共同体は歴史上最も危機的な局面の一つを迎えた。イマーム・マフディー(AS)はわずか五歳であり、多くのシーア派信徒はその存在すら知らなかった。一方、アッバース朝はイマームの子を見つけ出し、抹殺しようと躍起になっていた。この危機的状況の中で、いったい誰が導きの旗を担ったのか。
「ジャッダ(祖母)」、すなわちスーサン・アル=マグレビーは、イマーム・ハサン・アスカリー(AS)の母であり、イマーム・マフディー(AS)の祖母である。息子の殉教後、シーア派共同体の運営を引き受け、思慮深く巧みにシーア派信徒との連絡を取り仕切った女性である。イマーム・マフディー(AS)の不在の中、共同体を導き、第十二代イマームを世に示すための基盤を整えたのは、まさに彼女であった。
別名フダイス、サリール、サマーナとしても知られるスーサンは、当初は奴隷としてイマーム・ムハンマド・タキー(ジャワード)(AS)の家に入り、その後イマーム・アリー・ハーディー(AS)の妻となった。彼女を他の者と分かつものは、表面的な出自ではなく、その清らかさ、敬虔さ、道徳的な資質であった。
イマーム・アリー・ハーディー(AS)は彼女との最初の対面でこう述べた。「サリールは悪、汚れ、不浄から清められ、それらとは無縁である」。そして次のように吉報を告げた。「間もなく神は、彼女の懐と血統から、人々に対する神の証(フッジャ)を授けるであろう。その方は地を正義と公正で満たすであろう」。驚くべきことに、イマーム・アリー・ハーディー(AS)は彼女にこうも述べた。「そなたは二人の無謬のイマームの母である」――一人はイマーム・ハサン・アスカリー(AS)であり、もう一人は彼女の血統から現れるイマーム・マフディー(AS)である。この高い地位は、共同体を導く最高水準の役割を担うこの女性の比類なき資質を物語っている。
イマーム・アスカリー(AS)の殉教後の危機的状況において、遺言執行者(寄進財産と施しの管理者)となったのはジャッダであった。彼女はシーア派信徒を導き統率する責任を担い、人々とイマーム・マフディー(AS)との仲介者として行動し、イマーム位の継承という遺産を守るため、イマーム・アスカリー(AS)の兄弟であるジャアファル・カッザーブ(虚言者ジャアファル)と対峙した。
史料によれば、ジャアファル・カッザーブがイマーム位とすべての遺産を要求した際、ジャッダは、アッバース朝がイマーム・アスカリー(AS)の子の存在を知ることのないよう、極めて巧妙にこの問題を処理し、最終的に七年の後、遺産は彼女とジャアファルの間で分割された。しかし何よりも驚くべきは、イマーム・マフディー(AS)誕生の発表における彼女の比類なき戦略であった。ジャッダは、イマーム・アスカリー(AS)の叔母であるハキーマ・ハートゥーンとともにその誕生を管理し、条件が整うまでこの神聖な秘密を守り抜いた。誕生後、赤子をイマーム・アスカリー(AS)に見せ、シーア派の側近たちへの紹介の基盤を整えたのも、彼女であった。
シェイク・トゥースィーは著書『ガイバの書』の中で、イマーム・アスカリー(AS)が自らの子の誕生を隠すため母を遺言執行者に指名したと記し、この行為を、表向きは妹ザイナブ(SA)を遺言執行者に指名してイマーム・アリー・ザイヌルアービディーン(イマーム・サッジャード)(AS)の命を守ったイマーム・フサイン(AS)の行為になぞらえている。アッラーマ・マジュリシーは『ジャラー・アル=ウユーン』の中で、彼女を「貞淑で寛大、そして最高度の正しさ、慎み、敬虔さを備えた女性」と紹介している。シェイク・アッバース・ゴミーもまた、彼女を「その時代における最も清らかで、最も敬虔で、最も高貴な女性」と呼んでいる。
イマーム・アスカリー(AS)の叔母であるハキーマ・ハートゥーンは、ある質問者にこう答えた。「イマーム・アスカリー(AS)は母君に書き送っていた……シーア派信徒は誰の下に身を寄せるべきか。彼は『その祖母、すなわちアブー・ムハンマド(AS)の母のもとに』と答えた」。この言葉は、イマーム・アスカリー(AS)の在世中においてすら、ジャッダがシーア派信徒の拠り所、避難所として位置づけられていたことを明確に示している。
この役割は、あるいはザイナブ(SA)の役割になぞらえることができるかもしれない。カルバラーにおいて、無謬のイマームとみなされるイマーム・サッジャード(AS)が存命であったにもかかわらず、メッセージの伝達とイマーム位の継承の維持において主要な役割を担った女性である。実際、敵がアーシューラーのメッセージを完全に葬り去ろうとしていた状況の中で、説教を行い、捕虜たちを統率し、歴史を真理の陣営に有利な方向へ刻んだのは、まさにこのザイナブであった。イマーム・サッジャード(AS)はザイナブ(SA)についてこう述べた。「あなたは、神に感謝すべきことに、誰にも教えられずして知恵ある者であり、誰にも理解させられずして理解する者である」。すなわち、神の恩寵により、誰にも教えられずして学識ある者であり、誰にも悟らされずして悟る者である、という意味である。この言葉は、歴史上最も緊迫した局面における一人の女性の高い知識と洞察力を物語っている。
興味深いのは、ザイナブ(SA)とジャッダのいずれの場合も、無謬のイマームが存命かつ在世している状況の中で、これらの女性が実質的に共同体の運営とイマーム位継承の維持における主要な役割を担ったという点である。これは、アフル・アル=バイト(AS)の学派において、性別が大きな社会的・政治的役割を果たすことの妨げになったことは一度もないということを示している。
シーア派の伝統において、女性は歴史を通じて宗教的権威の分野で多様な役割を担ってきた。ハディースの伝承者の一人であったイマーム・ムハンマド・タキー(ジャワード)(AS)の娘「ハキーマ」から、マルジャア(最高権威者)の代理人として活動した女性たちに至るまでである。シーア派の歴史は、ハディースの伝承者となり、イジュティハードの位に達し、無謬のイマーム(AS)たちの代理人を務め、政治的危機において重要な役割を果たした女性たちの名で満ちている。この事実は、イスラームについて異なる姿を提示している。すなわち、女性が周縁的な存在ではなく、社会と思想的・政治的潮流の中心を担う要素であるという姿である。
ジャッダとザイナブ(SA)の物語は、単なる二つの歴史的逸話ではない。それは私たちの歴史的アイデンティティの一部であり、改めて掘り起こされるべきものである。これらの物語は次のことを示している。
第一に、ムスリム女性は、当初から共同体を導く最高水準の場に存在していた。一人の女性が無謬のイマームの後継者となり、さらに次の無謬のイマームを共同体に示すことができたという事実は、シーア派の信仰体系における彼女の崇高な地位を物語っている。
第二に、この存在はやむを得ざる事情によるものではなく、資質、知識、洞察力、敬虔さ、能力に基づくものであった。ジャッダがその責務を得たのは、イマームの母であったからではなく、その役割に最もふさわしい人物であったからである。
第三に、シーア派イスラームは、一部の見方に反して、今日の私たちにとって明確な模範となる、学識ある女性、女性ムジュタヒド、女性指導者の豊かな伝統を有している。今日、女性が社会、政治、学術のさまざまな分野で輝きを放っているとすれば、その輝きは、イスラーム史の中で何世紀も前に形づくられた模範に根ざしている。
第四に、イスラームの女性に対するまなざしは、性別ではなく、能力と資質に基づくものである。女性に資質がある限り、彼女は最高の地位に存在してきた。
ジャッダは最終的にサーマッラーの、アスカリー両イマームの聖廟のそばに葬られ、その名は永遠に歴史に刻まれた。しかし、彼女とザイナブ(SA)のような女性たちの物語は、単に歴史に記録されるためだけのものではない。これらの物語は、今日そして明日の私たちにとっての模範なのである。
今日の世代、とりわけムスリム女性たちは、自分たちの歴史が力強く、思慮深く、有能な模範に満ちていることを知らねばならない。それらの模範は、ムスリム女性が宗教的価値観への忠実さを保ちながらも、共同体の最高水準の運営と指導の場に存在しうることを示している。
ザフラー・サーレヒーファル、クルアーンとハディース修士、メディア経営学修士。
出典:
- シェイク・トゥースィー著『ガイバの書』:イマーム・アスカリー(AS)の殉教後、イマーム位の維持とシーア派信徒の統率におけるジャッダ(スーサン)の重要な役割に言及している。
- シェイク・アッバース・ゴミー著『ムンタハー・アル=アマール』:この女性の名前と称号(スーサン、サリール、フダイス、ジャッダ)を記した資料の一つである。
さらなる学習のための重要文献:
- アッラーマ・マジュリシー著『ジャラー・アル=ウユーン』:著者はこの書の中で、ジャッダを正しさ、慎み、敬虔さを備えた女性として紹介している。
- ザビーホッラー・マハッラーティー著『リヤーヒーン・アッ=シャリーア』:イスラーム史における学識豊かで卓越した女性たちに関する貴重な百科事典である。
- ファーテメ・ダウラティー著『月の膝に頭を』:ジャッダの生涯と、共同体に対する後見的な役割を描いたドキュメンタリー小説である。
これらの資料は、イスラーム初期における女性の役割が原典に記録されており、今日もなお注目と研究の対象となっていることを示している。
Your Comment