シーア派11代目イマームであるイマーム ハサン アスカリ―(AS)はヒジラ232年ラビーウッサーニー(イスラム暦4月)8日金曜日メディナにおいて、父10代目イマーム イマーム ハーディー(AS)と母ハディーサフ(或いはスーサン)の間に誕生した。
イマームはその父の保護で22年間を過ごし、10代目イマームであった父の殉教後アッラーの任命によってイマームの聖なる地位に就いた。イマームとしての7年間、カリフたちによって科せられた言葉では言い表せないほどの制限によって彼は隠密に偽装(タクィーヤ)して生活した。彼は一般のシーアの人たちとさえ一切交渉を持たなかった。シーアの中の選ばれた者だけがイマームに会うことが出来た。それにもかかわらず彼はその人生の大半を獄中で過ごした。
当時シーアの人口は数においても力においてもかなりのレベルに達していたために、極端な抑圧が行われた。シーアたちはイマーマト(イマーム職)を信じていることをすべての者が知っており、またイマームが何であるのかも知られていた。カリフたちはあらゆる可能な方法、秘密の計画によってイマームたちを根絶しようと図った。カリフたちはまたシーアのエリートたちが11代目イマーム及びその前のイマームたちの伝承によって、11代目イマームから「約束された“マハディ“」が生まれると信じていることを知るに至った。「マハディ」が生まれるということは預言者によって予言されたことであって、その予言についての伝承はスンニ派もシーア派もその伝承が正しく間違いないことを認めている。この伝承の為に11代目イマームは特別に注目され、他のどのイマームよりも厳重に監視された。その時カリフはいかなる手段を使っても、シーアのイマーマト(イマームの制度)を終わらせ、一気にイマーマトの扉を閉じようと決意を固めた。
それゆえ11代目イマームが病気であるとニュースがアル・ムタミドのもとに届けられるや否や、彼は医者及び幾人かの信頼できるスパイあるいは秘密警察、判事をイマームの家に派遣し、イマームと一緒におらせ、彼の状態と家の中の状況を常に監視させた。イマームの死後、彼等はイマームの家の中を調べ、イマームのすべての女奴隷までも助産婦によって検査させた。2年間カリフの秘密スパイたちはイマームの後継者を探したが無駄であった。11代目イマームはサーマッラ―における彼の家に
その高貴なる父の隣に葬られた。
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あるシーア派の伝承によれば、アッバース朝カリフのアル・ムタミドの扇動によってヒジラ260年(西暦872年)に毒殺された。
イマームたちはその生きている間、何百という学者たちに宗教とハディース(伝承)について徹底的に訓練した。それらの学者たちのおかげでイマームたちについての知らせが我々に伝えられているということを記憶しなければならない。長くならないためにここではそれらの学者のリストや業績、伝記などは述べないことにする。
「イスラーム案内(シーア的観点より) 澤田沙葉 訳」より引用
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