イマーム・ハサン・ムジュタバー(AS)は、ヒジラ3年ラマダン月15日火曜日 マディーナにおいて、父:初代イマーム・アリー(AS)と母:聖預言者の娘ファーティマ(S、A)との間に長男として誕生しました。
聖預言者ムハンマド(SAAS)は、その誕生の知らせを受けると、最愛の娘のもとへ行き新生児を腕に抱き上げ右の耳にアザーン(礼拝への呼びかけ)、左の耳にイカーマを手を当てて唱え、唯一神アッラーの命により
「アル・ハサン」と名付けました。
幼少時代:
彼の幼少時代の最初の7年間は、聖預言者(SAAS)がその偉大なすべての資質を授け、神の知識、雅量、知性、博愛、勇気を持たせようとする聖預言者の愛情あふれる保護の下にまことに祝福されたものであった。
聖預言者(SAAS)が新しく啓示されたワヒー(クルアーンの節)を同胞たちに明らかにする時はいつでもイマームは直ちにそれらすべてに精通した。
聖預言者(SAAS)が驚いたことは、聖なる娘ファーティマ(S、A)にまだ個人的に知らせる前に彼女が時々新しく啓示されたワヒーの内容を正確に全部唱えることであった。聖預言者(SAAS)から尋ねられた彼女は、ハサンによってその啓示を学んだと答えるのであった。
アッラーを思い出すこと:
聖イマームは献身的に祈りを捧げ、アッラーの前に平伏して礼拝したので、その跡がくっきりとその手足に印されていた。夜はほとんど祈りに捧げた。彼は我を忘れて祈りに没頭し謙虚にアッラーを畏れ、そのため激しく泣くほどであった。ウズー(心身を清める洗浄)の時には彼はアッラーを畏れて震え、祈りの時には顔は真っ青になった。祈りを捧げるときは真剣に黙想し、アッラーとの交流に没頭し、周囲を忘れてしまうほどであった。
彼の敬虔と安心立命:
イマーム・ハサン(AS)は自由にできる世俗的財産を持っていたので、贅沢な生活を大いに教授することができるはずであったが、イマームはそれらをすべて貧しい人々のために使った。
イマームは非常に親切、謙虚であったから乞食たちの宗教についての質問に答えるために彼らと一緒にマディーナの路地や往来に座ることを少しも躊躇しなかった。貧しい者たち、賤しい者たちがイマームの住居を訪ねても、イマームは心温まる態度で歓待し優しく迎えたので彼らは彼に対して劣等感を抱くことはなかった。
イマームになる:
聖預言者の他界と共にイスラーム世界は熱狂的な拡張主義、征服時代に突入した。そのような状況下でイマームはその偉大な父、イマーム・アリー(AS)と共にイスラームと聖預言者(SAAS)の教えを平和的に広めることに献身した。
ヒジラ40年ラマダーン月の21日にイマーム・アリー(AS)が殉教したことは、その息子ハサン(AS)にとってイマーム職の始まりを意味する。ムスリムたちの大多数は彼に忠誠を誓い儀式を行った。彼が指導者の地位に就くや否や、彼は彼に対して戦いを布告したシリアの総督ムアーウィアの挑戦に会わなければならなかった。アッラーのご意思に従い、ムスリムの殺害を避けるためにイマームは条件付きでムアーウィアと平和条約を結んだ。ムアーウィアはその条約を完全に守らず実行しなかったが、イマームはイスラームを救い、内戦を中止させた。この平和条約は決してイマームがムアーウィアに対して降伏し、永遠に指導者であることを放棄することを意味するものではなかった。それはムアーウィアの死と共にイマーム・ハサン(AS)に返し、イマーム・フサイン(AS)によって継承されるという条件の下にイスラーム王国の行政を一時的にムアーウィアに委譲するというものであった。行政の責任から解放されたイマームはマディーナにおいて宗教に関する指導に専念し、イスラームと聖預言者(SAAS)の教えを広めることに献身した。
殉教:
ムアーウィアは、イマームの妻であったアシュアスの娘と共謀して、イマームを殺害することを計画した。妻はイマームに毒を飲ませ、イマームはそのために肝臓を損なった。イマーム・ハサン(AS)はこのようにしてムアーウィアの決定的な悪計の犠牲となり、ヒジラ50年サファル月28日殉教の名誉を得た。彼の葬儀には、3代目イマームで弟のイマーム・フサイン(AS)とハーシム家の人々が出席した。聖預言者の墓地に葬るために運ばれていた彼の棺は、イマームの敵によって矢を射掛けられたので、棺はマディーナのジャンナトゥ・ル・バキーに運ばれ埋葬された。(イマームの聖廟は、アラビア半島・ヒジャーズの権力を握ったサウジ政府によってヒジラ1344年シャウワル月8日(西暦1924年4月21日)ほかの廟と共に破壊された。)
平和条約の条項はまもなく破られたが、それによってムアーウィアは短期間の栄光を得たに過ぎなかった。その破壊的影響は大きく後々に響き、彼の子であるヤジードの運命を不吉にし、ウマイヤ家に決定的な打撃を与えることになった。ムアーウィアの死後、イマーム・フサイン(AS)は真理と決心のための乗り越えることのできない巨大な山として出現し、前方に立ち塞がった。大軍によりイマーム・フサイン(AS)の家族を含んだ72名の軍をを孤立させ、彼らを3日間にわたって水を飲むことさえ許さずして行われた身の毛のよだつようなカルバラの悲劇において、ヤジードはイマームと一緒であった家族を含む72人の男性たちを全滅させた。
ヤジードのこの卑怯な成功はしかしながら一時的な儚いものに過ぎなかった。彼の行った極悪な行為を知ったムスリムたちは彼に背を向け、やがてヤジードは没落し、ウマイヤ家は地上から姿を消すことになった。
(イスラーム案内『シーア的観点より』澤田沙葉 訳より引用)
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