イラン暦におけるこの日は、最終エスファンド月の最終日(通常は3月20日、うるう年の場合は3月19日)にあたり「石油産業国有化記念日」に制定されています。74年前のこの日、当時のイラン国会は国内全域の石油産業の国有化に関する唯一の条項を可決承認し、植民地主義と搾取からイラン国民の権利を擁護するための決定的な行動が歴史に刻まれました。
パールストゥデイによりますと、1951年3月20日はイランの政治史における転換点となりました。イランの石油産業の国有化は、歴史的な蜂起そして、多大な困難を抱えた凄惨な闘争の結果といえます。
1951年3月19日、イラン国会・石油委員会の委員の提案により同国の石油産業を国有化する計画が承認され、これをもってイランの石油産業は正式に国有化されました。
これによりイランの石油産業は、国有化のプロセスに伴い政治的に緊迫化した過渡期を経てイギリスの手から離れ、その結果イギリスは徐々に地域から撤退することとなりました。
この出来事は、西アジア地域の政治発展の歴史における転換点となりました。
なお、エジプトのナセル首相が主導した同国のスエズ運河国有化がイラン石油産業国有化をモデルにしたものであることは、注目に値します。
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