1945年3月10日未明、アメリカのB-29爆撃機が東京の人口密集地帯を中心に大量の焼夷弾を投下し、家屋27万戸が焼失、およそ10万人が亡くなったと推計されています。しかし、正確な犠牲者数は今もなお明らかになっていません。
米軍による空襲は東京以外にも日本各地に及び、最終的に広島・長崎への原爆投下に至ります。
この記事では、アメリカによる日本への痛ましい戦争犯罪3つを取り上げます。
1.原爆:100万分の1秒で全てが数百万度の熱により蒸発
米軍による広島への原爆投下では、最初の100万分の1秒の間に大量の熱エネルギーが大気中に放出され、半径1.5キロメートルの範囲で火の玉と化し、広島上空は数百万度に相当する熱により、数秒間にわたり燃え上がりました。地上では、熱波が到来したことで気温が数千度にも達しました。半径1.5キロメートル以内に存在していたものは全て蒸発し、跡形もなく消えました。また、半径4キロ以内の地域では建物や人が炎上しました。熱波の次には、爆風がその壊滅的な影響力を現し、非常に高温のガスが放出されたため、時速1000キロメートルもの爆風は堅固な空気の壁と化し、半径2キロメートル以内のすべてを木っ端みじんに粉砕しました。公式統計によれば、その瞬間に約7万人が溶けて亡くなり、さらには数万人が重傷や火傷を負い、その後数日間、さらには数年にわたって多大な苦しみの末に無残にも命を落としています。
2.遺伝子の変異と異常
原爆投下後、広島と長崎では7万人の乳児が検査を受けました。長崎では500〜800人の乳児が自宅で検査を受けています。被爆直後は遺伝子損傷は検出されませんでしたが、2008年に生存者とその子孫らを対象に新たな研究が行われ、複数で遺伝子変異が認められました。
3.ヒロシマの影
広島では原爆投下後、人や自転車、その他様々な物の不気味な影が街路や建物の壁などに残存し、これは現在では「ヒロシマの影」として知られています。これは、原爆の威力によって地面に影が焼き付いたものと一般に言われていますが、実際には、原爆が周囲の色を破壊したことで、影のようなものができたと考えられています。
342/
Your Comment