アッラーの最後の使途である預言者ムハンマド(SAW)の誕生と最後の使途的イマームであるイマーム アル・マハディー(AJ)の誕生の間には多くの共通点、一致点がある。聖預言者が現れるということは前もってその前の預言者たちによって予言されていた。それと同じようにイマーム アル・マハディー(AJ)が生まれるという恵み溢れる、しかも緊張に満ちたニュースが聖預言者によって予告された。
このことについては聖預言者から正しく引用された数え切れないほどの伝承が、マサーニード、シハーフ、アフバール、そのほかシーアの本の中に白熱した内容で紹介されている。多くのスンニ派の学者たちもまたこのことについての伝承を集めて膨大な書物として編纂している。すなわちアブー ダーウードの「アッ・サヒーフ」、イブン マジャーフの「アッ・スナン」はもちろんアル・ハーフィーズ ムハンマド イブン ユースフ アッ・シャーフィーイーによる「アル・バイヤーン フィー アフバール サーヒブッ・ザマーン」、アル・ハーフィーズ アブー ヌアイム アル・イスファハーニーによる「ディクリーヤートゥル・マハディ」である。これらの本はいずれもこの聖なるイマームの出現を立証する伝承を記録している。
普通「イマーム・ザマーン」あるいは「イマームル・ザマーン」(今現在のイマーム、時のイマーム)「サーヒブッ・ザマーン」(現在の指導者)という称号で呼ばれている“約束の「マハディ」”は11代目イマームの息子である。彼の名前は聖預言者と同じである。
シーア派12代目イマームであるイマーム マハディ(AJ)はヒジラ255年シャーバーン(太陰暦8月)15日金曜日、サーマッラ―において父11代目イマーム イマーム ハーディー(AS)と母ナルジス ハートゥーンの間に誕生し、ヒジラ260年、彼の父が殉教するまで父の世話と監督・指導の下に育った。彼は一般から姿を消し、シーアの中のわずかなエリート:選ばれた者だけが彼に会うことが出来た。
父の殉教後、彼はイマームになり神の命令により彼はガイバ(神隠し状態)に入った。それ故に彼は彼の代理者たち(ナーイブ)にだけ姿を見せ、後では特別な例外的な場合にだけ現れる。
イマームの4人の“特別の代理者”たち
イマームは暫くの間、父と祖父の同僚の一人であり、最も信頼する腹心の友であったウスマーン イブン サイード アル・アムリーを特別な代理者として選んだ。子の代理者を通じてイマームはシーアの人々の要望や質問に答えていた。ウスマーン イブン サイードの後は、その息子のムハンマド イブン ウスマーン アル・アムリーがイマームの代理者に選ばれた。ムハンマド イブン ウスマーンの後は、アブール・カーシム アル・フサイン イブン ルーフ アン・ナウバフティーが特別の代理者となり、彼の死後はアリー イブン ムハンマド アッ・サムリーがこの仕事に選ばれた。
ヒジラ329年/西暦939年アリー イブン ムハンマド アッ・サムリーが死ぬ2~3日前にイマームから次のような教令が発せられた。『6日のうちにイブン ムハンマド アッ・サムリーは死ぬであろう。それによりイマームの特別の代理というシステムは終わり、ガイバトゥ ル・クブラ(長期の神隠し)に入り、神によってイマームが姿を現すのを許される日までその状態は続くであろう。』
イマームの神隠し状態
12代目イマームの「ガイバト(訳して“神隠し”状態)」は、2つの部分に分けられる。第1はヒジラ260年/西暦872年に始まり、ヒジラ329年/西暦939年まで約70年間続いた。ガイバトゥッ・スグラー(小神隠し)である。第2はヒジラ329年/西暦939年に始まり、神がお望みの間続くガイバトゥル・クブラ(大神隠し)である。「神隠れ」とはつまり、超能力:超自然の状態のことである。すべての者がその正真性を認めているハディース(伝承)によれば、聖預言者は”もし世界の寿命が延ばされるとするならば、神はわたしの共同体、わたしの家系の中から一人の人物を送られる日までその日を延ばされるであろう。その人物の名は私の名と同じである。地上が圧政と専制によって被われていたようにその人物は平等と正義をもって地上を満たすであろう”と言った。
「イスラーム案内(シーア的観点より) 澤田沙葉 訳」より引用
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