ABNA24 : イスラム革命はこれで、勃発から43年目に入ったことになります。イラン国民の革命の勝利から42年間経過しているが、この期間中、革命は常にアメリカ・ホワイトハウスに陣取る為政者らにとって大きな課題の1つでした。そもそも、このイスラム革命がアメリカ政府にとって深刻な課題と見なされているのはなぜなのでしょうか?
まず、はっきりしていることは、ホワイトハウス当局者にとっての懸念の1つが、イスラム諸国間のイランの影響力の拡大だということです。フランスの哲学者、ロジェ・ガロディ氏は、イスラム革命の重要性について、次のように述べています。
「イスラム革命は、政治的、社会的、植民地政府を打倒しただけでなく、さらに重要な点として、宗教に対抗して成立していた独自の世界観や文明を打倒した、という新たな意味合いを持っていた」
ガロディ氏に加えて、多くの政治アナリストはイスラム革命の勝利を、世界中のイスラム教徒に力を与えるものとしています。その例として、ミシェル・ジョンソンは戦略的地政学の記事において「イスラム教徒のコミュニティは、イスラム革命後、脆弱で無力な状態から脱却して一大勢力と化した」と綴っています。
さらに、ドイツの週刊誌デア・シュピーゲルによりますと、ホメイニー師が率いるイスラム革命は世界中のイスラム教徒に新たなインスピレーションを与え、世界で最も闘争的な宗教としてのイスラム教はその革命のエネルギーで全世界のおよそ12億人のイスラム教徒を鼓舞して、地球上での神権政体結成へと動かした、とされています。
こうした中、マレーシアのイスラム政党PAS・全マレーシア・イスラム党のハーディ・アワン党首も、「イランのイスラム革命により、世界のイスラム教徒は植民地主義の政治、経済、文化、思想の束縛から解放された」と語りました。
そして、アメリカのシンクタンク・ブルッキングス研究所は、イランの勢力圏拡大を分析するとともに、 「イランは、地域におけるアメリカの継続的な過ちを受け、ソフトな政策を通じて、地域の権力構造に大きな変化をもたらすことに成功した」との見解を示しています。
いずれにせよ、明らかなことは、イランのイスラム革命がイスラム式の政治体制を世界に紹介したとともに、西側世界からアジアに至る世界各地での被抑圧民の闘争の模範となっていることです。
疑いなく、イスラム世界の最も重要な社会・政治的現象の1つは、特に1970年代後半以降におけるイスラム革命後のイスラムの覚醒という思想の拡大だったと言えます。この期間中に、以前は沈黙していた複数のイスラム運動が再開されました。これに先立つ形で、アラブ世界とエジプトにはムスリム同胞団とその支部に近い組織集団がすでに存在していました。しかし、イランのイスラム革命の勝利後、チュニジア、アルジェリア、パレスチナ、イラク、レバノン、サウジアラビア、ペルシャ湾岸諸国、モロッコ、マレーシア、インドネシアなどの各国、さらにはパキスタンでも、イスラムの世界観を持つ新しい政治集団やそしてメソッド、そしてイデオロギーが形成されています。
こうした中、アフガニスタンはイランとの言語・文化的共通性やイランの隣国であることから、いち早くイスラム革命の影響を受け始めました。その様子は、親ソビエト共産主義クーデターに対する人々の抵抗に如実に具現されていました。またソビエト赤軍によるアフガニスタンの占領中には、シーア派とスンニー派の集団や、同国の反共産主義勢力ムジャヒディン派もイスラム革命の影響を受けています。
さらにパキスタンでは、イランのイスラム革命の勝利により、若いシーア派世代の知的レベルと政治的ビジョンが高まり、スンニー派の分派の1つ・ジャアファル法学を支持する潮流が出現しました。
最後の点として、地域諸国の間でのイランがもたらした精神的な影響により、シオニスト政権イスラエルがイスラム革命のソフトパワーを認めたことが挙げられます。当時イスラエル外相だったアバ・エバン氏は、「イスラム革命は偏狭的ではなく、思想史に新たな章を開いた。この思想の潮流は西アジア地域に広まり、イスラム革命の勝利はこれらの現象を反映していると感じている」と語っています。
いずれにせよ、地域およびイスラム諸国にイスラム革命が及ぼした精神的な影響はさておき、イランは今や地域・世界的なパワーバランスに影響を及ぼす一大強国にのし上がったのです。そして、西側諸国が地域の問題の多くを解決するために、イランの協力と役割を必要としていることは、紛れもない事実なのです。
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