【ParsTodayイラン】ハーメネイー師は現地時間の12日水曜夜、イラン全国から集まった数千人もの学生、政治、社会、文化団体、学生団体の活動家らとの面会で、様々な論点を批判・評価し、学生のアイデンティティを強化するとともに、現代史や時事問題の事例を検証する上で重要な奨励事項を提起しました。
ハーメネイー師はイラン暦今年(2024年3月21日~2025年3月20日)の様々な出来事を振り返り、「昨年の今頃はライースィ―大統領、レバノン・ヒズボッラーのナスロッラー事務局長とサフィーオッディン執行評議会議長、ハマスのハニヤ元政治局長とシンワル前政治局長、その軍事部門トップだったデイフ氏といった殉教者や、何人もの著名な革命家たちが我々の中にいたが、今は亡き存在となった。そのため、敵は我々が弱体化したと考えている。しかし、これらの非常に貴重な兄弟たちの不在は我々にとって損失ではあるものの、我々自身は多くの分野で昨年と比べより強大化し、一部の分野では弱体化していないことを、私は自信を持って強調する」と語りました。
また、抵抗戦線が引き続き強力な状態を維持している理由について、「1つの国民や集団の中に理念や努力という2つの要素があれば、その全体的な動きは影響を受けないだろう」と述べ、「すべての人間の最終的な目的は、神に導かれることである」「繁栄、幸福、救済への到達は崇高なる神の導きのもとでのみ達成でき、この導きは敬虔であることの成果の1つだ」と語りました。
さらに、演説の主要部においてイラン人学生のアイデンティティーを説明するとともに、現代のイランの若者が西洋および西洋文明と遭遇した際の2つの異なる経験について言及し、「最初の遭遇の結果は『陶酔と自己破壊』であり、2回目の遭遇の結果は『西洋文明への認識、西洋の現実に対する適切な対処、独立意識、そして場合によっては、深い違和感および完全な分離』であった」と強調しました。
そして、「約100年前にイランの若者が初めて西洋に遭遇したことで、若者の意識において『先進的な西洋と弱く後進的なイラン』というイメージが生じた」「確かにこのイメージは当時の現実だったが、それが自己否定や西洋への追従につながるべきではなかった。それは、相手の強みを突きつけられることで人間は屈服や追従に甘んじるのではなく、自らの弱点を補い解消することを考えるべきだからだ」と語りました。
その上で、レザー・ハーン(イランのパフラヴィー前王朝の創始者)を破壊者かつ西洋かぶれの具現だとし、「英国はかの暴君を権力の座に就かせ、その後、自国の利益が必要とした際にはこれを排除した。しかし、この間に英国はイラン国民の世論に国家のすべての事柄や問題において西洋に従い同化する必要があるという意識を定着させ、国を内側から空洞化し、国家経済、国家の内政および外交政策、さらにはイラン人の民族衣装など、国民的なものは一切残さなかった」と述べました。
続けて、「西側諸国のイラン進出による2度目の経験は、英国と当時のロシア帝国による国土の一部占領、飢餓と数千人の命の喪失、国内運動の弾圧、レザー・ハーン時代のダーシー石油利権契約のような屈辱的な契約の押し付けなどの苦い事件の結果である」とし、「これらの事件により、特に若者をはじめとする民衆にとって西洋人の内面気質が暴露され、彼らの洗練された外見と笑顔の背後に悪意と裏切りという内面が隠れていることが明らかになった。このことにより、イラン国内では西洋文明への憧れや関心が低下していった」と語りました。
また、「(1950年代初頭の)石油国有化運動は、西側諸国の内部事情を暴露する歴史的転換点となった」とし、「当時のモサッデク首相はアメリカを当てにし、同国がイギリスを排除することを期待していたが、そのアメリカから煮え湯を飲まされ、結局彼はアメリカの資金と可能性によるクーデターで失脚した」「(1953年8月19日の)このクーデターの結果、西側の依存は進歩の要因ではなく障害であるという事実が明らかになった。西側諸国は自らの利益と矛盾する全ての現象に容赦なく刃を向けるという事実も明らかになった」と述べました。
ハーメネイー師はその上で、「(1953年12月7日に発生した)ニクソン米大統領の訪問に抗議するテヘラン大学の学生の蜂起や、この事件での政府側による学生3名の殺害など、学生による反米運動の勃発は、西側諸国の内なる本性が露呈したことの影響によるものだ」「(1979年の)イスラム革命がなかったら、我が国は外国への依存度が高まったがゆえに、すべての利益と精神的豊かさを奪われ、空洞化・形骸化する道をたどっていただろう」としています。
また、「イスラム革命の創始者・ホメイニー師の特徴は、特定の階層や政党ではなく、1つの国民とコミュニケーションをとり、話をしたことだった」とし、「ホメイニー師は、民衆の能力と国民の文化・歴史的アイデンティティを想起させることですべての人を無知から救い出した。そして、国民を信頼し、国民に要求することで、国民を現場の最前線に導きだし、そして国民自身も毅然と立ち向かい、怯むことなく、敵の過剰な要求や略奪を退けた」と語りました。
そして、世界の横暴者らが同国のイスラム革命に対する闘争や陰謀をあきらめていないという事実を指摘し、「彼らは『我々が第一』と言うが、これは自らの利益を何よりも優先すべきだという意味であり、今日、誰もがこの利益追求主義を目の当たりにしている。しかし、イスラム教国たるイランは、そのような自国第一主義を排すると断言している唯一の国だ」と述べました。
また、「敵の工作の目的は、特に最新の通信手段を使用して、イランに対する西側諸国の影響と支配力を回復し、革命前のイランの若い学生たちの間に蔓延っていたのと同じ受動性、屈服、依存の精神を繰り返させることにある」としました。
ハーメネイー師は、この日の演説の最後の部分で、アメリカとの交渉について複数の点を指摘しました。
ハーメネイー師はまず、「交渉して合意締結の用意があるとするトランプ米大統領の発言とイランへの書簡の送付は、国際世論を欺く工作である」とし、「この書簡はまだ私に届いていないが、米国は『イランは我々と違って交渉して合意に達する相手ではない』という印象操作をしようとしている。その一方で、この台詞を言っている人物は、我々がアメリカと交渉した成果(=核合意)を破棄した。問題の相手が結果に基づいて行動しないことがわかっているのに、どうしてその人物と交渉できるだろうか?」と語りました。
また、別の点として、「当初から、交渉における我々の目標は制裁の解除だったが、幸いなことに制裁は長期化するにつれ、徐々にその効果が薄れてきている」と述べました。
一方、米国がイランの核保有を阻止するという姿勢をとっていることについては、「もし我々が核兵器製造を望んだとしても、米国はそれを止められなかっただろう。我々が核兵器を保有せず、またそれを求めてもいない理由は、前述した理由により、我々自身がこの種の兵器を欲していないからである」としました。
その上で、「アメリカが軍事力をちらつかせていることは賢明ではない」「戦争を勃発させるという示唆・脅迫は一方向の問題ではない。イランには反撃する能力があり、間違いなくそうするだろう」「米国とその代理勢力が誤った行動に走れば、彼ら自身がより大きなしっぺ返しを受けることになるだろう。もっとも、我々は戦争を望んでいるわけではない。戦争は良いことではないからだ。だが、相手が行動に出れば、我々も断固として対応する」と強調しました。
また、アメリカの国力低下にも触れ、「経済、外交政策、国内政策、社会問題、その他の分野でアメリカは弱体化しつつあり、もはや20〜30年前のような力を持つことはできなくなっている」と語りました。
ハーメネイー師は演説の結末において、「パレスチナとレバノンの民衆の抵抗は以前よりも強まり、意欲的になっている」とし、「政府や大統領を含むイラン当局は、パレスチナとレバノンの市民の抵抗を全力で支援すべきことに同意しており、神のご意志があれば、イラン国民は従来通り将来も迫害や暴虐に対する抵抗の旗手であり続けるだろう」と語りました。
今回の面会では、出席者を代表して数名の学生らが演壇に立ち、学生や国にとって重要な問題について意見を表明しました。
なお、面会後にはハーメネイー師の先導により、日没と夜間の礼拝が行われました。
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