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source : parstoday
火曜日

26日 2月 2019年

18:13:28
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預言者の娘、ファーティマ (SA)の生誕日

西暦においては今年3月9日にあたるイスラム暦ジャマーディ ッ・サーニ(6月)20日は、イスラムの預言者ムハンマド(SAW)の娘ファーティマ(SA)の生誕日です。

ファーティマ(SA)は、あらゆる側面から、イスラム教徒の女性の模範です。ファーティマ(SA)の生誕日は、イランでは母の日・女性の日とされ女性、特に母親が賞賛されます。

 

 

イスラムの預言者ムハンマド(SAW)は、啓示を心待ちにしていました。それから時を置かずして、大天使ジブリール(神からの啓示を聖預言者(SAW)に伝えた天使、ガブリエル)が地上に降りたちました。

 「ムハンマド(SAW)よ、至高なる神は汝に平安を送り、40日間、妻のハディージャからは離れるようにと命じている」

 預言者ムハンマド(SAW)は、神の命を実行するため、40日間、妻のハディージャには近づきませんでした。昼間は断食をし、夜は礼拝に勤しみました。そして、教友の一人、アッマールをハディージャの家に送り、自分がハディージャを遠ざけているのは神の命によるもので、嫌悪や怒りによるものではないと伝えさせました。

 40日が過ぎました。大天使ジブライールが、再び大地に降り立ちました。今回は、預言者ムハンマド(SAW)に果物(リンゴであったという見方が有力)が手渡されました。

 

 

 

「ムハンマド(SAW)よ、主は汝に平安を送り、この贈り物を天国から汝に与えられた」

 ムハンマド(SAW)はその果物を口にし、ハディージャの家に行きました。ハディージャは寝床から立ち上がったとき、自分の中にファーティマ(SA)の光を感じていました。

 ある日、預言者ムハンマド(SAW)が家に帰ると、ハディージャが誰かに話しかけている声を聞きました。預言者が誰と話しているのかとたずねると、ハディージャは言いました。「お腹の中にいる赤ん坊と話をしています。この子は私の話し相手です」

 そのとき、大天使ジブライールが降り立ちました。

 

 

 

「ムハンマド(SAW)よ、その赤ん坊は女の子であり、預言者の一門は彼女から続いていくことをハディージャに伝えなさい」

 ムハンマド(SAW)が神から預言者としての使命をさずかってから5年後のジョマーディオッサーニー月20日、ハディージャは激しい痛みに襲われました。クライシュ族とハーシェム家の女性たちに助けを求めましたが、彼女たちはそれを受け入れず、こう言いました。「あなたは私たちの望みに反して、貧しいムハンマド(SAW)と結婚した」

 ハディージャは、痛みを抱えながら誰の助けも得られずにいましたが、突然、背の高い4人の女性がハディージャのもとにやって来ました。ハディージャは驚きました。しかし女性たちは言いました。「悲しむことはありません。私たちは神の使徒です」

 

イブラヒームの妻・サーラ、フィルアウンの妻・アースィーヤ、イムラーンの娘・マルヤム、そしてムーサーの姉妹のコルスームがハディージャを囲むようにしてすわり、彼女を助けました。

 ハディージャの娘は、清らかな状態で生まれました。家の中は光に包まれました。天女たちが、天国の泉、コウサルの水が入った器を持って、ハディージャの家に入りました。そして、その水で女の子を清め、白く、よい香りのする布で、その子をくるみました。

 女の子に名前をつけることになりました。神のもとから天使が降り立ち、その子をファーティマ(SA)と名づけるようにと言いました。この女の子は、ファーティマ(SA)と名づけられたイスラムで最初の子供となりました。また、女性に対する無明時代の見方が改められるきかっけとなった女の子でもありました。

 

ファーティマ(SA)は、子供の頃から、啓示が下った家で、父親であるイスラムの預言者ムハンマド(SAW)の教えを受け、最高の美徳や知識を身につけました。ファーティマ(SA)は、預言者ムハンマド(SAW)が、多神教徒から受けていた嫌がらせによる苦痛を和らげる上で、大きな役割を担っていました。

 ファーティマ(SA)は、イスラム暦2年、真理、正義、敬虔さの象徴で、のちにシーア派初代イマームとなるアリー(AS)と結婚しました。預言者ムハンマド(SAW)の愛する娘は、アリーー(AS)の家で、妻として、また母としての責務を最高の形で果たし、2代目イマームとなったハサン(AS)や、3代目イマームのフサイン(AS)、そして娘のゼイナブ(SA)など、立派な人物を育てました。

 こうした中、ファーティマ(SA)は、真理を守る上での社会的な責務の遂行も怠りませんでした。イスラム暦11年に預言者ムハンマド(SAW)が亡くなった後まもなく、ファーティマ(SA)は、イスラムの正しい道から社会が逸脱することを懸念しながら、亡くなりました。

 人間の存在に価値を与え、その人の行動や立場に方向を与えるのは、考え方や思想です。また、そうした考え方を生み出すのは、その人が持つ知識です。そして、知識を有益なものにする、最も重要な要素が、信仰です。

 

 

イスラムの預言者ムハンマド(SAW)の娘、ファーティマ(SA)は、これらすべての特徴を有しています。ファーティマ(SA)は、尊厳、清らかさ、献身といった道徳的、人間的な価値観を何よりも大切にする女性でした。

 ファーティマ(SA)の知識は、預言者ムハンマド(SAW)の知識と強い結びつきを持っていました。ファーティマ(SA)は、必要に応じて、メディナのモスクで、為政者や人々を前に歴史的な演説を行い、預言者の死後の社会の逸脱に警告していました。

 ファーティマ(SA)は、非常に雄弁であると同時に、行動においても尊厳に溢れた清らかな女性でした。ファーティマ(SA)は、預言者に深く愛されていました。この父と娘の関係は、礼儀と敬意、愛情に基づいたものでした。預言者ムハンマド(SAW)がファーティマ(SA)の前に現れるたびに、ファーティマ(SA)は立ち上がり、父に敬意を表しました。そして、自分の場所に父を座らせ、父親の方でもまた、同じようにしていました。イランイスラム共和国の創始者、ホメイニー師は、次のように語っています。

 「イスラムの歴史は、神の預言者ムハンマド(SAW)が、この聖なる存在、ファーティマ(SA)に無限の敬意を払い、女性は社会において特別な地位を有していること、男性よりも優れた地位にはなかったとしても、それに劣る存在ではないことを示そうとした」

 

 ファーティマ(SA)はクルアーンの中で、賞賛に値する女性として描かれています。クルアーン第108章アル・カウサル章潤沢は、クルアーンんの中でも特に、ファーティマ(SA)の偉大さと地位を最も明らかに物語っており、ファーティマ(SA)の生誕によって、神は預言者に対し、彼に大きな善を与えたこと、彼の子孫が途絶えることはないことを伝えています。

 イスラム法学者は、クルアーンの別のいくつかの節についても、ファーティマ(SA)のことを指しているとしています。

 ファーティマ(SA)の人生における特徴は、質素堅実な生活、敬虔さ、生活への満足でした。ファーティマ(SA)は、父親の家でも、夫の家でも、そのような生活を送っていました。ファーティマ(SA)は現世への執着からは離れ、人生を通して、恩恵に溢れた質素な生活を選びました。ファーティマ(SA)は次のように語っています。

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