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source : Parstoday
火曜日

6日 11月 2018年

17:54:10
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ムハンマド(SAW)、沈まぬ太陽

人類の中から一人の偉大な人物が去ってから千数百年が経過しました。その人物は乾いた命に降り注ぐ雨のような存在でした。サファル(イスラム暦2月)28日(西暦では今年は11月7日)は神の最後の預言者ムハンマド(SAW)の命日です。

イスラムの預言者ムハンマド(SAW)は神の最も崇高な教えを人類にもたらし、イスラムを全ての時代、世代にとって優れた宗教と見なしました。実際、ムハンマド(SAW)は世界中を照らす太陽のごとく、メッカに昇りました。それは決して沈むことのない太陽です。

 

サファル28日はイスラムの預言者を思い起こす日です。しかし現在、逸脱と憎しみがイスラム教徒を名乗る者たちの心を暗くし、無知が知性に勝り、神と預言者の名前のもとで極めて残酷な犯罪を犯し、それを拡大してしている人々がいます。当時、ムハンマド(SAW)が預言者の使命を授かったことにより、戦火や同胞の殺害は消え、イスラムのおかげですべての人が心を一つにしました。

 

 

 

現在、騙されたイスラム教徒が無明時代に戻っている中、憎しみや強情さから離れた状態でイスラムの預言者の性質とクルアーンの教えについて熟考することは重要な事柄です。偉大なる預言者は私達の傍らににはいませんが、彼の教えと導きは人類の各世代に引き継がれています。明らかに、預言者の持っていた性質と、彼が残した二つの貴重な存在、つまりクルアーンと預言者一門は、この欺瞞に満ちた時代においてイスラム共同体の道を明るく照らすものです。

 

 

 

毎日世界で数百万人のイスラム教徒が礼拝の中で、預言者ムハンマド(SAW)の使命を認める証言をし、至高なる理念に誓いを立てていますが、もしこの信仰告白と忠誠が明敏さを伴うものでなければ、イスラム共同体は今後も混乱と暴動に巻き込まれることになるでしょう。

 

預言者の命日において、偉大なる神に、明敏さの光が真のイスラムを知らない者達の心に当てられることを願いましょう。

 

まずはクルアーン第33章アルアハザーブ章、部族同盟、第56節をお聞きいただきましょう。

 

「神とその天使は預言者に祝福を送る。信仰を寄せるものたちよ、彼に祝福を送り、挨拶をし、完全に(彼の命令に)従いなさい」

 

 

 

歴史の中で、イスラムの預言者ほど生き方や人格が明らかに語られている人はほとんどいません。至高なる神はクルアーンの中で、最高に美しい表現を用いて、預言者を賞賛しています。神はクルアーン第68章アル・カラム(筆章)第4節で、「本当にあなたは優れた偉大な道徳を有している」として、預言者を賞賛しています。

 

 

 

人間を導くための預言者の23年間の努力は、熟考に値する問題です。預言者は長年あらゆる瞬間を利用し、導きと教えの光を拡散することをやめませんでした。歴史によれば、イスラムの急速な拡大の一方で、預言者ムハンマド(SAW)は自らの導きを開始する中で、いかなる武力も経済力も持っていませんでした。さらに彼の近親者の一部が彼を敵視さえしていました。イスラム教徒になった人々も多くの問題に直面しました。こうした圧力にもかかわらず、日を追うごとにイスラム教徒の数は増えていきました。

 

思想家や歴史家は、イスラム教の偉大さは、一つはクルアーンもう一つは預言者ムハンマド(SAW)という優れた人物の存在にあるとしています。

 

 

 

道徳を伴う知識、公正を伴う統治、謙虚さを伴う名誉、こうしたことがイスラムの預言者が持っていた明らかな特徴でした。もしイスラムが武力によって前進し、その信条が人々に強要されるのであったら、この道を最初に歩んだ人物は預言者だったでしょう。彼は賢明な措置や論理によって、自らの目的を推進しようとしていました。

 

預言者はイスラム教を消滅させるために開始された戦争の中でも、人々を導き救済する道を整えるために、勇ましい抵抗以外は見せませんでした。預言者は得策と考えれば、彼に長く反対してきた人物をもイスラム政府のもとで保護しました。

 

 

 

預言者ムハンマド(SAW)が築いた社会において第一の指標は、人々を正しい方向に動かす、彼らの心から湧き出る信仰でした。この純粋な信仰は、イスラム教徒の間の同胞の精神を強化していました。こうして民族・部族間の争いは神と預言者への信仰のおかげで消え去り、人々は同胞の絆を結ぶことで、結束しました。イスラムの預言者の存在は、春のそよ風のようなものであり、メディナの町をよい香りに包み、すぐにそれは周辺にも広がっていきました。その後イスラムはメッカの砦を占拠しました。

 

 

 

イスラムの預言者の人々への対応は貧しい人であれ、裕福な人であれ、慈悲に満ちたものでした。預言者は病気の多神教徒のために医師を送りました。このように預言者は人々と親しい関係を有していました。

 

預言者は人々の思考力を養うことを重視していました。預言者の最初のメッセージでは、学問と宗教の重要性に注目を寄せていました。預言者は人間に、思考すると共に、神に従うことを呼びかけていました。シーア派初代イマーム アリー(AS)はこのように述べています。

 

「預言者は火を灯し、それによって人々が知識と見識の光を追い求めるようにした。彼は太陽のように迷える者達の前を照らし、疑いと迷いの中に沈む人々に明かりを与えた」

 

 

 

預言者は、他者の思想を尊重していました。とはいえ、それは彼らの選択の権利と自由を尊重するという意味であり、その思想を受け入れるということではありません。預言者はイスラム暦2年のキリスト教徒との契約で、彼らの信仰を妨害しないと約束しています。

 

預言者は、多神教や偶像崇拝につながること以外、他の宗教の信者の宗教義務の遂行を決して妨害することはありませんでした。このためキリスト教徒とユダヤ教徒は自由に自分達の宗教義務を遂行し、誰も彼らにイスラムを強要することはありませんでした。

 

道徳を重んじる、朗らかである、人々の状況を伺う、貧困者・弱者に慈悲をかける、利己主義を否定する、これらが預言者がすべての人から愛されていた要因でした。預言者は質素な服を着て、その食事もつましいものでした。

 

 

 

預言者の持っていた特徴の一つに、非難を受け入れる、ということがありました。預言者が過ちを犯すことはありませんが、他者の話に耳を傾けることを嫌がりませんでした。預言者は常に非難や抗議に耳を傾けました。

 

 

 

インド独立の父、マハトマ・ガンジーは、著書の中で預言者ムハンマド(SAW)についてこのように述べています。

 

「興味深いのは、現在、数百万人の人々の心の中に無条件に存在している最高の人物がムハンマド(SAW)だということだ。私は、その当時多くの人をイスラムに従わせたのは剣ではなかったことに納得した。ムハンマド(SAW)は質素に生きた。他の預言者と同じように敬虔で禁欲的だった。非常に誠実で、友人や信奉者のために尽くした。私がイスラムの預言者の生涯についての二冊目の本を読んだとき、なぜこの預言者の生涯についてもっと知ることができないのかと残念に思った」

 

 

 

イスラムの尊敬すべき預言者は、常に歴史において幸福の道を明らかにするための導きの太陽です。預言者が亡くなってから長い歳月がたちますが、今も世界中で彼の愛情の香りをかぐことができます。すべての人が無知の中で過ごし、心を汚していたとき、彼は目覚めと屈辱からの脱却の声を上げ、迷える人々を救うために努力しました。彼は苦しめられましたが、決してくじけることはありませんでした。今も生命を明るく照らしているのは預言者の光なのです。

 

神の預言者は、新興のイスラム共同体の将来を強く懸念しながらこの世を去りました。預言者は、何度となく支持者たちを様々な勧告や助言により指導し、共同体を逸脱や迷いから脱却させるためにクルアーンと預言者一門に向かうよう呼びかけました。そして決してこの二つの貴重な遺産から離れることのないよう、この二つに寄る以外に幸福に至ることはないと強調したのです。

サファル28日はまた、ムハンマドの孫で、シーア派2代目イマーム ハサン(AS)の殉教命日でもあります

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