【アフル・バイト通信/ABNA】
1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾は一瞬で市街を廃墟に変え、数万の無辜の命を奪った。平和記念公園にある時計塔は、爆弾が炸裂したその時刻を指したまま止まっている。未来への警告として、そして過去の記憶として、静かに時を刻まない。
市中心部に佇む「原爆ドーム(原爆ドーム/Genbaku Dome)」は、爆心地付近で唯一崩壊を免れた建造物であり、戦争の悲劇と平和の尊さを象徴する世界的な記念碑として知られる。その近くでは、ガザ地区での暴力に抗議する市民たちが手書きのプラカードを掲げ、戦争と不正義に苦しむ人々との連帯を示していた。暴力の連鎖を終わらせたいという声が、静かにだが力強く広がっている。
原爆による被ばく後に白血病を患い、回復を願って千羽鶴を折り続けた少女・佐々木禎子(ささき・さだこ)の物語は、広島の記憶として今も生き続けている。彼女が遺した折り鶴は平和と希望の象徴となり、毎年、全国の児童・生徒が折り鶴を捧げて平和のメッセージを世界に届けている。
だが現在、その「平和と希望」の記憶は新たな痛みを伴って響く。パレスチナでは、戦火のなかで無数の子どもたちが命の危機にさらされ、日々を怯えながら過ごしている。住居を失い、家族を失い、未来さえ見えない。その姿は、まるで再び語り継がれる佐々木禎子の物語のようであり、世界に対する痛切な警告である。
ヒロシマから80年。世界は未だにガザのような場所で戦争犯罪と呼ばれるような惨状を目にしている。国際社会が果たすべき役割は何だったのか。その問いが、多くの市民の胸に重くのしかかる。国際機関や人権団体が尽力する一方で、なぜ今もなお非人道的な殺戮が続いているのか。その背景には、国家や機関の沈黙、そして無関心が存在している。
歴史は、容赦はしないが正義を忘れない裁判官である。ヒロシマは私たちに教えている――記憶だけでは平和は守れない。必要なのは、共に歩む行動、勇気ある決断、そして連帯であると。80年の節目に、世界はかつてないほどに団結を必要としている。ヒロシマから、ガザへ、イエメンへ――平和の声は一つだ。「どの命も暴力と不正義の犠牲になってはならない」。
この道のりにおいて、一人ひとり、地域社会、国家が果たすべき責任は重い。ヒロシマの再建はコンクリートや鉄筋の話ではない。心と記憶の再生でもある。焼け野原から甦ったこの街のように、人類もまた政治的思惑を超えて、人道の視点からより公正で持続可能な世界を築いていくことができる。
いまもヒロシマの空を舞う千羽鶴は、私たちにこう呼びかけている。「どんな暗闇の中にも、平和への希望の灯は決して消えない」と。
現代の世界は試練のときにある。私たちはヒロシマの教訓から学び、戦争と暴力のない未来を築けるのか。その答えは、言葉ではなく、正義と人間の尊厳へと進む、私たち一人ひとりの一歩にかかっている。
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