ムスリムの人々が旅行先として日本に注目している。それも東京のような都会ではなく地方訪問を望んでいるという。宿泊施設が不足している都市部の状況を考えれば好ましいことだが、ここでボトルネックになっているのがムスリムの食事や生活習慣への配慮だ。JTBグローバルマーケティング&トラベルのポカレルマデュー氏は、まずは実践できるムスリムフレンドリー対応に着手することを推奨する。ポテンシャルの高いムスリムマーケットと、地方を対象とした誘客のポイントを解説する。
執筆:吉田育代

JTBグローバルマーケティング&トラベルグローバルマーケティング 2部アジア推進営業部長ポカレルマデュー氏
<目次>
- 世界人口の4分の1はムスリムに
- ムスリム旅行客の2つの不安
- すぐにできるムスリムフレンドリー対応は?
- ムスリム観光には、専門家や他社との連携が必須
- 地方はムスリム観光でまだまだ盛り上がる
世界人口の4分の1はムスリムに
JTBグローバルマーケティング&トラベル(以下、JTBGMT)は、JTBグループの訪日インバウンド機能特化型の企業である。観光立国をめざす日本のDMC(デスティネーションマネジメントカンパニー)代表として、個人旅行、団体旅行、MICEと呼ばれる国際的なミーティング、企業インセンティブ、国際会議や大型イベント、教育旅行などあらゆる旅行の企画と運営を担っている。 ポカレルマデュー氏は、2015年に同社に入社。グローバルマーケティング 2部アジア推進営業部長として、アジア8ヶ国の国籍の部下とともに、多様な視点でインバウンドニーズを理解しながら業務を進める。マデュー氏自身はネパール国籍を持ち、若くして来日、観光業関連で長くキャリアを積んできた。 現在、同社ではムスリムマーケットに注力している。なぜムスリムか。マデュー氏は米国シンクタンク Pew Research Centerの2011年調査資料を示しながら、ムスリム人口のボリュームと人口の平均年齢が若いことからくる伸び率を指摘した。 それによれば、ムスリム人口は1990年から比較して2030年までに35%増加し、世界の人口のうち26.4%はムスリムが占めるようになるという。つまり、4人に1人がムスリムになるというわけだ。 また、Thomson ReutersとDinarStandardが作成したState of Global Islamic Report 2015によると、ムスリムは富裕層の割合が多く、インドネシア、マレーシアなど日本にアクセスしやすいアジアに比較的多く居住していることも大きな特徴の1つだという。しかも、多くのムスリムは、アジアの先進国であり、独自の文化を持つ日本に親近感を持っているようだ。彼らの旅行熱は旺盛で、JTBGMTとしても日本を案内したい気持ちは強いという。
ムスリム旅行客の2つの不安
日本政府主導のビザ発給要件の緩和により、日本を訪れるムスリム旅行者は増えているが、そこには少なからず懸念もある。半分は日本に起因するものであり、半分は彼らに起因するものだ。 日本に起因するのは、訪日外国人旅行者が東京、九州、京都、広島といった日本の主要観光都市を周るいわゆる「ゴールデンルート」へ集中することによる宿泊施設不足だ。特に東京は年間を通じてホテルの予約が難しい状態になっており、それが旅行催行のボトルネックになっているという。そのため、同社では日本の地方へ送客したいと考えている。地方は日本らしい四季が楽しめ、自然風土も豊か。地方を訪れることはムスリム旅行者の望みでもある(図1)。

図1:ムスリムの人々は日本の四季や自然を満喫したいと考えている
(出典:JTBムスリム・インバウンド・マーケティング・プロジェクト)
しかし、そこではムスリムを受け入れる準備が整っていないというわけだ。マデュー氏はJTBムスリム・インバウンド・マーケティング・プロジェクト(訪日ムスリム旅行者の対応の強化と改善を目的に、JTB グループ内の有識者を横断的に集め2015年4月にJTB コーポレートセールス内に立ち上げたプロジェクト)が行った調査結果を示しながら強調する(図2)。
図2:日本へ来ることへの不安の大半は信仰に関するもの
(出典:JTBムスリム・インバウンド・マーケティング・プロジェクト)
「日本にはいくらでもおいしいものがあるのに、彼らの80%は自国からインスタントラーメンを持参します。お菓子も10%の人しかお土産として再購入しません。なぜなら、信仰する宗教上、日本で出される食事に自分たちが食べてはいけないものが含まれているかもしれないからです。 歯みがき粉については宿泊先で用意されていないと思い持参する場合も考えられますが、口に直接入れるものとしてハラール性を重視している可能性もあります。実際、マレーシアなどで販売されている歯みがき粉はほとんどハラール認証が取得されています。日本には行きたいけれど、行ってムスリムのしきたりや戒律が守れるかを不安に思う人々がマレーシアで51%、インドネシアでは79%に達します」(マデュー氏) 食事と並ぶ大きな懸念点は礼拝だ。これはイスラム教の5つの義務の中で最も重要なもので、彼らは1日5回メッカの方向へ祈りを捧げる時間を持つ。自国では、あらゆる場所にメッカの方向を示すキブラマークが天井などに記されており、礼拝スペースも用意されているが、日本にはほとんどその用意がない(図3)。

図3:彼らが求めているのはキブラマーク
(出典:JTBムスリム・インバウンド・マーケティング・プロジェクト)
すぐにできるムスリムフレンドリー対応は?
「そんなことを言われても、礼拝スペースのために施設を改修したり、ハラールフード(ムスリムの戒律に沿った食事)を作るために厨房を改修したりするのはコストがかかりすぎる」と、普通なら思うことだろう。しかし、マデュー氏はすぐにでもできるムスリムフレンドリー対応はいくらでもある、と語る。 「キブラマークを天井などに貼ることは簡単にできます。また、礼拝スペースも大仰なものでなくてよく、マットを敷いてカーテンで仕切るくらいで構いません。あるいはホテルなら、メッカの方向を割り出すためのコンパスを貸し出すのも一つの方法です。最近はコンパスがわりになるスマホアプリも出てきましたが、すべての人がスマホを持っているとは限りません。それをSNSで積極的に発信すれば、それだけでムスリムの人々は『歓迎してくれているんだ』と親近感を持ってくれます」(マデュー氏) 同社も、インドネシア人社員を採用するにあたって、礼拝スペースを確保することから始めた。 食事や食品に関しては、まずはすべての成分を英語で明記することが大切だという。あるいは、アルコールや豚肉などムスリムの戒律に反するものをしっかり分けて、そのことを伝える。それらを食べていいかどうかは彼らが判断する。判断材料を提供するということが大事なのだ。
ムスリム観光には、専門家や他社との連携が必須
とはいえ、本格的にムスリムに対応しようとすれば、簡単には解決しないことがいろいろ出てくる。そんなときは自分だけで悩まないで、同業者や専門家に相談してほしいとマデュー氏は訴える。 「旅行は、送迎、食事、観光、買い物、宿泊など、さまざまな事業者が関係して成り立つものです。一社で完結できることは少なく、連携が重要ですがムスリム対応ということではまだそれが十分にできていません。当社としても、私個人としても、日本は地方に大いなる魅力と可能性があると感じており、ゴールデンルートだけではない新しいルートの開発、新しい観光コンテンツの開発を皆さんと一緒に進めたいと考えています」(マデュー氏)
地方はムスリム観光でまだまだ盛り上がる
2017年2月、同社はインドネシアの旅行会社とメディアを対象に、東京と北海道を訪れるFAM TRIP(視察招待旅行)を実施した。参加者は北海道の雪まつりと食文化に感動したという。なかでも喜ばれたのは、焼いたじゃがいもにバターをのせて食べる「じゃがバター」だったという。その一方で、食べ慣れない食事を持参したチリソースで食べる側面もあった。彼らのやり方を尊重することが大事、とマデュー氏。 「ハラールフードと礼拝がボトルネックになっていますが、治安のすぐれた旅行先として日本はムスリムの人々から注目されています。大都市から地方へ目が向き始めている今日、地方の方々が動いてくだされれば、訪日インバウンドニーズはまだまだ盛り上がります」(マデュー氏)
(※本記事は、HCJ2017トレンドセミナーでの講演内容をもとに再構成したものです)
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