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初代イマーム・アリー(AS)の説教、書簡、指令、格言集

『ナフジュル・バラーガ』(雄弁の極致)

  • ニュースコード : 766107
  • 出典 : ABNA
Brief

この書物は、およそ1400年前に書かれたものであるが、今日の私達がそれを読むとき、「まるで私達の抱える問題を知っている相手が私達に諭してくれているのではないか」と感ずるほど偉大な書物である。

この書物は、およそ1400年前に書かれたものであるが、今日の私達がそれを読むとき、「まるで私達の抱える問題を知っている相手が私達に諭してくれているのではないか」と感ずるほど偉大な書物である。

 

内容は3部から成り立っており、第1部には241の説教、第2部には79通の手紙、そして第3部には480の格言が記されている。

 

 

 

以下、サイト「イスラームの起源」より

 

 

 

 

本書は、初代イマーム・アリー(AS)の説教、書簡、指令、格言の一部を、サイード・ラズィが編纂して『ナフジュル・バラーガ』(雄弁の極致)と名付けたものである。

 

イマーム・アリー(AS)の説教はイスラーム世界において極めて高く評価され尊ばれていたので、死後1世紀の間に、一神教哲学の最終の言葉、人格形成の最良の講義、教化の崇高なる発信源、敬虔さを目指すための極めて説得力ある説教、真理と正義に向かう導きの灯台、聖預言者(SAAS)と聖クルアーンの驚くべき賛美、イスラーム精神に心服させる演説、神の属性に関して畏敬の念を抱かせる論考、文学としての名作、話術の手本として、教え読まれた。

 

第1世紀

 

著名な伝記『レジャル・カビール』によると、説教を収集し一冊にまとめたのは、ヒジュラ暦90年に他界したザイド・イブン・ワハブ・ジェフニーの手による。ハディース(伝承)語り手とみなされていた人物である。拠って、説教・書簡・格言・伝承等の収集、引用、保存が行われたのはイマーム・アリー(AS)逝去後 30年のヒジュラ暦1世紀である。

 

第2世紀

 

第2世紀の幕開けにイブン・ワハブの例に従って編纂に着手したのは、(1)初期アッバース朝の最も有名なアブドル・ハミード・イブン・ヤフヤー(ヒジュラ暦132年)、続いて(2)イブン・アル=ムカッファ(ヒジュラ暦142年)だった。ジャーヒズ・アル=ウスマーンによると、イブン・アル=ムカッファはこれらの説教を丹念に研究し、知識と叡智の噴水口から自分はずぶ濡れになって日々新鮮な感動を受けたのだと述べていたという。(3)イブン・ナディームはその伝記『ファフイスト』にフシャシャム・イブン・サーイブ・カルビー(ヒジュラ暦146年)が同じく説教を収集していたと述べている。(『ファフリスト・アル=イブン・ナディーム、7部、251頁』

 

このように以後何世紀にも渡ってムスリム学者、神学者、歴史家、伝承家がこれらの説教を引証ないしは引用し、イマーム・アリー(AS)の言葉や言いまわしの意味を論じ、神学、倫理、聖預言者(SAAS)と聖クルアーンの教え、文学、修辞学の権威を要するときの出典に用いていた。

 

第3世紀

 

3世紀には5人の有名な人物がこの研究に着手した。

 

1.ヒジュラ暦255年(西暦868年)に没したアブー・ウスマーン・ウマル・イブン・バフル・ル・ジャーヒズが著書『アル=バイアン・アル=タイバン』に多くの説教を引用した。

2.ヒジュラ暦276年没のイブン・クタイバ・アル=ダイヌーリがその著書『アッユーン・アル=アクバル』『ガリーブ・アル=ハディース』に多くの説教を引用ならびにイマーム・アリー(AS)の言葉の意味を論じた。

  1.  イブン・ワズィフ・アル=ヤクービ(ヒジュラ暦278年没)がその歴史書に説教と格言の多くを引用した。
  2. アブー・ハニーファ・アル=ダイヌーリ(ヒジュラ暦280年)の歴史書『アフバル・アル=タワル』に説教と格言の多くを引用した。
  3. ブル・アッバース・アルムバルド(ヒジュラ暦286年没)が著書『キターブ・アル=ムバド』で説教と書簡の多くを収集した。

 

第4世紀

 

  1. 著名な歴史家イブン・ジャリール・アル=タバリー(ヒジュラ暦310年没)が『タリフ・アル=カビール』に説教の一部を引用した。

2.アブー・ムハンマド・ハサン・イブン・アリー・イブン・シュバイル・ハルビー(ヒジュラ暦320年)が著書『サファス・アル=ウクール』にいくつかの説教を収集した。後にペルシャ語で出版された。 以下の著者も説教または格言を引用した。

3.イブン・ワリード(ヒジュラ暦321年)『アルムジュタブニー』

4.イブン・アブド・ラッバフ(ヒジュラ暦328年)『アクド・アル=ファリード』

5.クライニー(ヒジュラ暦329年)『アル=カーフィー』

6.アリー・イブン・ムハンマド・イブン・アブドル・マダニス(ヒジュラ暦335年)が書簡と格言を収録した。ヤクース・アル=ハメヴィネが『ムジャム・アル=アディバ』5巻313頁に本書について言及している。

7.歴史家マスーディー(ヒジュラ暦346年)が『ムッラビ・アル=ザハブ』に書簡と説教の一部を引用した。

8.アブル・ファルジュ・イスファハニー(ヒジュラ暦356年)『アガニー』

9.アブー・アリー・クアリ(ヒジュラ暦356年)『ナワディール』

10.シャイフ・サドゥーク(ヒジュラ暦381年)『キターブ・アル=タウヒード』に説教、書簡、格言のみを引用した。

 

第5世紀

1.シャイフ・ムフィード(ヒジュラ暦413年)が『イルシャード』に多くの説教、ハディース、格言、書簡を引用した。

2.サイード・ラズィ(ヒジュラ暦420年)が『ナフジュル・バラーガ』の書として編纂した。

3.サイード・ラズィと同時代のシャイフ・アル=タアイッファ・アブー・ジャーファル・ムハンマド・イブン・ハサン・アル=トゥーシー(ヒジュラ暦460年)は、サイード・ラズィよりはるか前に説教等の収集を行っていた。

 

サイード・ラズィ編纂の『ナジュブル・バラーガ』には、説教、書簡、格言のすべてが収められているのではない。マスーディー(ヒジュラ暦346年)の著名な歴史書『ムッラヴェジャル・ザハブ』(2巻33頁、カイロ出版)によると、複数の人びとの保存した説教だけでも480件以上にのぼる。即時演説で人びとが一件ずつ書写し本にまとめたものから引用ないしは引証された。

 

この480の説教には損失したものがあり、サイード・ラズィによる編纂は約245のみである。『ナフジュル・バラーガ』に編纂された説教、書簡、格言は、彼が生まれる以前に他界した著者の書物からみつけることができる。また、『ナフジュル・バラーガ』の編纂以前に彼と同時代に生きた年上の著者による記録がある。こういった著者ならびに著書、記録された説教等の数を本書の最期に備考として紹介した。

 

ムスリムならびにキリスト教徒のアラブ人学者、神学者、哲学者、歴史家の称賛の言葉をすべて紹介すれば分厚い本になってしまうため、この場においては数人を簡潔に紹介するにとどめておく。

 

  1. アブー・サッアダス・ムバラク・マジュダド・ディン・イブン・アシール・ジャザリー(ヒジュラ暦606年)は今日も、伝承の語り手のみでなく非常に有名な語義学者としても知られる。著書『ネハヤ』では聖クルアーンと伝承の難解な語の意味と歴史の調査を扱い、説教から多くの語句や言いまわしを取り上げ、かなり長く論じている。総合的にアリーの言葉は聖クルアーンの次に並ぶものだと述べた。

 

2.シャイフ・カマルディン・イブン・ムハンマド・イブン・タルハー・アル=シャフィイー(ヒジュラ暦652年没)の著名な書『ムサレブ・アル=スアウル』にはこうある。

 

「ハザラス・アリー(AS)の四番目の特質は雄弁さである。どれほど努力しても彼の足許におよぶ者はいなかった。ナフジュル・バラーガを調査した人は彼がこの分やでいかに卓越していたかを僅かに知ることができるだろう」

 

3.アブー・ハミード・アブドル・ハミード・イブン・ヒバスラフ(ヒジュラ暦655年没)は、イブン・アビル・ハディード・アル=ムアサザリーとして知られるが、説教について大変優れた解説をしている。

 

(1)「アリーの説教、書簡、格言は極めて優れており、人間の言葉を超越し、神の御言葉よりわずかに劣るといったものである。聖クルアーン以外にこれを超えるものはない」(2)別の場所でこう述べた。「彼の言葉は聖預言者(AS)の奇跡である。彼の予言は知識が神業(超人的)であることを示す」

 

4.サッダディーン・サフサザニー(ヒジュラ暦791年)は『シャラフ・アル=マクアシド』に述べた。「言葉、倫理、宗教の教義において最高の能力を備えると同時に、卓越した雄弁家であった。『ナフジュル・バラーガ』に編纂された説教がこの事実を実証している」

 

5.アラウディン・クシュジ(ヒジュラ暦875年)は『シャラフ・アル=サジュリード』に述べた。「『ナフジュル・バラーガ』に記録された説教と格言は、聖クルアーンを除いて誰にも超えることができないものである」

 

6.エジプトのムフティー、シャイフ・ムハンマド・アブダフー(ヒジュラ暦1323年)が『ナフジュル・バラーガ』を解説している。彼は現代思想家の一人で、イスラームの教えの美を現代世界に認識させた人物である。彼の『ナフジュル・バラーガ』の解説の前書きは注目に値する。「アラビア語を完全に理解する人は誰もがハザラス・アリー(AS)の説教と格言が神と聖預言者(AS)の言葉に次いで優れていることに同意することだろう。アリーの言葉は非常に意味深長で、優れた知識を伝達しており、教師はもちろん研究者はこの『ナフジュル・バラーガ』を注意深く調査・引証・引用すべきである。カイロおよびベイルートのアラビア文学・哲学の大学教授は、上級レベルの研究コースにこの書を採用するよう説き伏せた」

 

7.ベイルートの著名な著者であり雄弁家のシャイフ・ムスタファ・ガラ・アイニーは、クルアーンの解説とアラビア文学においての権威とみなされていた。『アリージュ・アル=ザフル』の「表現方法」の章でこう述べている。

 

 「聖預言者(SAAS)と神を除いて、アリーより優れた書き手はいるのか。優れた文学作品の研究者は『ナフジュル・バラーガ』を研究すべきである。この書には奥深い知識、倫理および宗教のすばらしい忠告が含まれ、この書を不断に研究することは人を賢く謙虚にさせ、高尚な心を育んでくれよう。そして高水準の弁論家を養成してくれるだろう」

 

8.カイロのアルハズ大学アラビア語学科のウスタド・ムハンマド・ムフジュディーン教授はこう述べている。「『ナフジュル・バラーガ』はイマーム・アリー(AS)の業績の所蔵である。編纂者はサイード・ラズィである。これほどの慎み深い言葉、気高い雄弁、優れた叡智の見本を示すことができるのはアリーの他に誰もいない。アリーは聖預言者(SAAS)の次に卓越した雄弁家であり、言語と文学における偉大なる権威であり、宗教(イスラーム)の叡智において最高の源泉だからである。彼は偉大な哲学者であった。彼の口からは知識と叡智が流れ出た」

 

9.アラビア文学と伝承の権威、カイロのフワド大学ウスタド・アブドル・ワハブ・ハムザ教授は1951年にこう書いている。「『ナフジュル・バラーガ』には、偉大な学者、倫理学者、哲学者、科学者、宗教権威者、政治家に可能な発言や著述のすべてが含まれる。その忠告の偉力と、最高級の方法でなされた議論、視野の奥深さを生み出したのは、アリーという極上の知性と精神の持ち主であることを証明している」

 

10.エジプトの雑誌『アラムラン』のキリスト教徒である編集長アブドル・マシーフ・アル=アンサキーはその著書『シャラフ・クアサッエド・ル・アルウィヤー』にこう書いている。「アリーは演説家であり雄弁家のイマームだった。また教師であり、文士と哲学者の手引きであった。彼の言葉は誰よりも優れ、創造主の言葉に劣るにすぎないとの主張は真実である。彼は疑いなく著述家、演説家、哲学者、神学者からの人であり、詩人がインスピレーションを受け、形式を磨き、その芸術をマスターした。彼の言葉が編纂された本の題名は『ナフジュル・バラーガ』。頻繁に読まれるべき一冊である」

 

11.ベイルートのクアデセ・ユースフ大学アラビア文学フワド・アフラム・アル=バサーニー教授はローマ・カトリック教徒で、哲学者、科学者、神学者、随筆家による作品を集めて編纂した。その本の序文にはこうある。「『ナフジュル・バラーガ』より引用して本書を始める。世界で最も偉大な思想家のイマーム・アリー・イブン・アビー・ターリブの作品である」

 

12.有名なキリスト教徒の道徳家、作家、詩人ポロス・サラマはその著書『アワル・ライ・ムルハマ・ル・アラビア』(ベイルート、アルナシール出版)にこう述べている。「有名な『ナフジュル・バラーガ』は、アリー・イブン・アビー・ターリブという偉人を認識させる書であり、クルアーンを除いてこれに優る書はない。読者は美しい鎖でつながれた知識の真珠、英雄的行為と高潔さの芳香を発見する。淀みなく流れ出る慎み深い言葉は、あの有名なカウサルの川より清涼で甘く、読者の心に清新の気を吹き込んでくれる」


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