シーア派8代目イマーム リダー(AS)の殉教日に寄せて

イラン北東部マシュハドのイマーム リダー廟

  • ニュースコード : 867812
  • 出典 : Parstoday
Brief

19日日曜は、シーア派8代目イマーム リダー(AS)の殉教日です。この期間、イラン北東部マシュハドのイマーム リダー(AS)廟では、イマーム リダー(AS)の殉教日に際して、盛大な形で喪に服しています。この地は巡礼地であり、また心の疲れた人々のよりどころとされてきました。さまざまな年代の人々が、哀悼の意をささげるため、イマーム リダー(AS)廟を訪れます。

イマーム リダー(AS)は、西暦799年、35歳のとき、シーア派7代目イマーム カーズィム(AS)が殉教した後、イマームの責務を引き継ぎ、イスラム教徒の指導者となりました。そして、西暦817年まで、聖地メディナに滞在していました。この期間、アッバース朝の為政者・マームーンは政治的な詐欺行為により、イマーム リダー(AS)に対して、現在のトルクメニスタンにあるホラーサーン地方のマルヴに行くよう求めました。マームーンがこれを強要したことにより、メディナからマルヴに赴きました。

イマーム リダー(AS)のマルヴ行きは、彼の生涯における重要な転機でした。それはこのマルヴ行きで、イマーム リダー(AS)の精神的な偉大さと高い学術的な地位をこれまで以上に明らかにしたからです、マルヴやホラーサーンの人々がイマーム リダー(AS)を知ることで、彼らはイマーム リダー(AS)を近くにまみえることで、その学識により、真理を知ろうとしたのです。

イマーム リダー(AS)はおよそ2年間、マルヴに滞在し、その後、マームーンの命令により、毒を盛られ、818年9月に殉教しました。

イマーム リダー(AS)は、イスラムの預言者ムハンマド(SAW)や、そのほかの清らかな預言者の一門のように、高潔な道徳や、正しい礼儀に従い、道徳的な卑しさの認識に基づいて、一部の行為を否定していました。また、クルアーン(コーラン)の説を利用し、神に対する留意を自身やほかの人々の中に植え付け、彼らを正しい僕としての、幸福の道に向かわせたのです。

イマーム リダー(AS)は55年の生涯のうちの20年間にわたり、イスラム共同体の指導者を務めました。この時代、学問が分断された時代でもあり、その指導や推論により、学問の大家は、さまざまな学派を分断していましたが、彼らはイマームのクルアーンに対する学識とその範囲に驚いていました。実際、イマーム リダー(AS)の高貴な忠告やモラルは、道徳的なクルアーンの説を物語っており、クルアーンは、イマーム リダー(AS)の思考、言葉、行動に、全面的に表れていたのです。

イマーム リダー(AS)の教友は、彼に対して、「クルアーンをどのように考えているか」と問いました。イマーム リダー(AS)は、「クルアーンは神の言葉で、神の領域を侵害し、その導きをクルアーン以外に求めてはならない。そうでなければ、迷いに陥ることになる」

イマーム リダー(AS)は、この言葉により、導きと幸福の道はクルアーンの教えに従うことの中にあり、そこから学び、それを守ることが尊いことだということを明らかにしたのです?

イマーム リダー(AS)は、クルアーンは強い綱のようなものであり、しっかりとした根拠で、神の優れた教えだと紹介し、神の僕たちを楽園へと導き、地獄から救い出しました。時代が過ぎ去っても、古くなることはなく、その言葉による価値や、影響力は損なわれていません。つまり、神はそれを特定の時代のために下したのではなく、全人類のために下した恩恵で、それが無効になることはありません。

アッバース朝の支配者、マームーンは、イマーム リダー(AS)のために論争の場を設けました。イマーム リダー(AS)は預言者一門の学識の偉大さや正統性を示すつもりはありませんでした。マームーンはこの論争の場でさまざまな宗派の思想家を招待し、この論争の場で、イマーム リダー(AS)を苦境に陥れるよう、彼らとイマーム リダー(AS)を対決させようとしました。

マームーンが想定していたのとは逆に、イマーム リダー(AS)と各宗派の学者の論争は、マームーンに何の利益ももたらさなかったばかりか、マームーンとアッバース朝体制にとっての問題を生み出しました。このため、マームーンは、イマーム リダー(AS)がこの論争の場に賢明な形で参加することで、すべての思想家や人々の注目を集め、一方で、イマームが特別な信用を得て、人々に対するイマームの指導性が明らかになる下地が整う危険性を理解し、イマームをコントロールしようとしました。イマーム リダー(AS)と思想家や支持者との関係により強い制限を加え、論争が明らかになるのを防ごうとしたのです。このため、マームーンは、ムハンマド・ビン・ウマルという人物らにたいして、人々をイマーム リダー(AS)の学術的な集まりや議論の場から遠ざけるよう指示しました。

イマーム リダー(AS)は内面的な問題への注目と、崇拝の問題を扱うことを決意していました。彼は当時においてもっとも敬虔な人物であり、完全さと高貴な性質、真の人間性を備えていました。常にイスラム教徒の問題にかかわり、また、人々の問題や窮乏を解消する中で、大変な努力を行いました。

イマーム リダー(AS)の豊かな学識と英知により、イスラム世界の思想家や要人は彼の下を訪れていました。彼はイマームの責務を担っていた時期、多くの学者を育て、クルアーン解釈、ハディース学、道徳、哲学、医学に関する重要な作品を記していました。

また、人々にイスラムの教えを開示していました。彼はメディナや自身の神学校で多くの生徒を集め、彼らに教育していました。この生徒たちはイマーム リダー(AS)の下に集まり、イマーム リダー(AS)の学識を得ていたのです。

 

 

 

 /309

 

 

 

     


あなたのご意見をお寄せください

あなたのメールアドレスは公開されません。エントリーフォームの必須項目には*印が付いています。

*

پیام امام خامنه ای به مسلمانان جهان به مناسبت حج 2016