神に関する質問

Q:最後の審判の際には、私たちは神を見ることが出来ますか?

  • ニュースコード : 832319
  • 出典 : ABNA
Brief

最後の審判の際には、私たちは神を見ることが出来ますか?という質問に対する回答です

A:まずは、クルアーンのこの2つの節読んでみましょう。          

クルアーン第75章 復活章(アル・キヤーマ)の第22と23節に

وُجُوهٌ يَوْمَئِذٍ نَاضِرَةٌ ﴿۲۲

إِلَى رَبِّهَا نَاظِرَةٌ ﴿۲۳

 

22.その日、或る者たちの顔は輝き、

23.かれらの主を、仰ぎ見る。

”とありますが、復活の時私たちは神を見ることが出来るのでしょうか?

 

クルアーンの解釈において決して性急であってはなりません。節からの結論づけにおいて、クルアーンの他の節を無視することもできません。クルアーンは神を見ることを不可能であるとしています。

 

クルアーン第6章 家畜章(アル・アンアーム)第103節を読んでみましょう。

لَا تُدْرِكُهُ الْأَبْصَارُ وَهُوَ يُدْرِكُ الْأَبْصَارَ وَهُوَ اللَّطِيفُ الْخَبِيرُ ﴿۱۰۳

103.視覚ではかれを捉えることはできない。だがかれは視覚そのものさえ捉える。またかれはすべてのことを熟知され、配慮されておられる。

 

 

復活章で記されている種類の“見る”とは視覚でとらえることを示すのではなく、“心の目で見る、魂・精神で神を認識すること”を示すのです。

 

また、あるクルアーン解釈者は、復活章のこの節をこのように訳しています

「その日、ある者たちの顔は輝き

神のみを待望する。」

つまり、復活の日信者たちは自分の行い(善行)に頼るのではなく、ただただ神のご慈悲を待望する。

 

この2つの節についてこの解釈を受け入れるならば、それを説明しなければならないような“神を見る”というテーマの問題が起こってくることはありません。

クルアーン解釈書“タフスィール ネムーネ”では、上記2の両方の解釈を支持・確証しています。

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