ドゥアー(祈願)の重要性

  • ニュースコード : 814686
  • 出典 : ABNA
Brief

シーア派最高位聖職者アーヤトゥッラー ウズマ―のマカーレム シーラーズィー師による「ドゥアー(祈願)を行うことの重要性」を紹介します。

イスラムにおいてドゥアーは非常に重視されるものです。

イスラム教徒が捧げる礼拝のなかにも多くのドゥアーが含まれています。

اهدِنَــــا الصِّرَاطَ المُستَقِيمَ

クルアーン 開端章6節

「(神よ)私たちを正しい道にお導きください。」

 

(われわれは、もしかしたら現在正しい道の上にいないかもしれない。正しい道にいたといしても移り変わりの中にいるために、常に逸脱した道にそれる可能性がある。この先、分かれ道に辿り着き誤った方向へ進むかもしれない。)

 

また、クヌートもドゥアーから成り立っています。

 

 

タシャッフドのあとのサラームでもドゥアーを行います。

السلام علینا و علی عباد الله الصالحین

「(アッラーからの)祝福、サラーム:挨拶のことば、健康を私たち(集団礼拝の仲間たち)と全ての正しいアッラーのしもべたちに!」

 

 

 

 そして、クルアーン(コーラン)の中にも、過去の預言者たちによる数々のドゥアーが存在します。ここでは、そのうち2つを紹介します。

 

イブラーヒーム章37節にはこうあります。

 

رَّبَّنَا إِنِّي أَسْكَنتُ مِن ذُرِّيَّتِي بِوَادٍ غَيْرِ ذِي زَرْعٍ عِندَ بَيْتِكَ الْمُحَرَّمِ

 رَبَّنَا لِيُقِيمُواْ الصَّلاَةَ فَاجْعَلْ أَفْئِدَةً مِّنَ النَّاسِ تَهْوِي إِلَيْهِمْ

 وَارْزُقْهُم مِّنَ الثَّمَرَاتِ لَعَلَّهُمْ يَشْكُرُونَ (37)

 「主よ、私は我が子の一人をあなたの聖なる館の傍らの耕せない谷間に住まわせました。

 主よ、彼らに礼拝の務めを守らせてください。そうすれば人々の心を彼らに惹きつけるでしょう。

また彼らに果実をお授けくださいきっと彼らは感謝するでしょう。」

 

 神の命によって息子のイスマーイールとその母ハージャルを乾燥した草も生えない荒野であったメッカに残すにあたり、預言者イブラーヒーム(AS)はこのドゥアーをしました。

 

このドゥアーは、注意深く見てみると綿密に計算されたドゥアーであることに気づきます。

 

この中で彼は、神に2つのことを神に乞い求めます。

1つ目

“人々の心を彼らに向けてください。”

最も重要な恩恵は、人々の心を惹きつけることである。

人々が、彼らを愛するように。これが全ての恩恵の根である。

2つ目

“彼らに日々の糧を与えてください”と祈願しています。

 人々に心から愛されることが、日々の糧よりも優先されることは注目すべきポイントである。

 

 

 

次にマルヤム章の第4から6節から、別の預言者のドゥアーを紹介しましょう。

預言者ザカリヤー(AS)はこう祈ります。

 

 

قَالَ رَبِّ إِنِّي وَهَنَ الْعَظْمُ مِنِّي وَاشْتَعَلَ الرَّأْسُ شَيْباً وَلَمْ أَكُن بِدُعَائِكَ رَبِّ شَقِيّاً (4)

 وَإِنِّي خِفْتُ الْمَوَالِيَ مِن وَرَائِي وَكَانَتِ امْرَأَتِي عَاقِراً فَهَبْ لِي مِن لَّدُنكَ وَلِيّاً (5)

 يَرِثُنِي وَيَرِثُ مِنْ آلِ يَعْقُوبَ وَاجْعَلْهُ رَبِّ رَضِيّاً (6)

 

彼は(祈って)言った「主よ、私の骨は本当に弱まり、また頭の髪は灰色に輝きます。だが主よ、私はあなたに御祈りして御恵みを与えられないことはありません④

ただただ、私のあとの近親(と同胞)のことを恐れます。私の妻は不妊です。それであなたの御許から相続者を私にお授けください。⑤

私を継がせ、またヤアコーブの家を継がせてください。主よ、彼を御意に適う者にしてください。⑥」

 

このドゥアーの中にも1つの重要なポイントがあります。

このドゥアーは、私たち全てのものへの教訓です。

 

 「自分は善を行った」というだけで満足し、終わらせるべきではないのです。自分のあと、それは忘れ去られるものとなるべきではなく、継続されるべきなのです。

 

 これらの他にも、多くのドゥアーがクルアーンの中には含まれています。

 

 ここでひとつ説明しておかなければならないことがあります。

 

一部の偽りの神秘主義者たちはこのように言います。

「ドゥアーをしてはならない。神が望むように、なるようになるのだ。」と。

 

 イスラムの預言者はその生涯の最期までドゥアーを行いました。生涯の最期まで礼拝をしました。生涯の最期までイスラム共同体の為にドゥアーをしました。また、過去の預言者たちもみなドゥアーを行いました。

 

全ての預言者たちが誤りを犯した、などということがあり得るでしょうか?

人は口を閉ざすべきである、とはどういうことなのでしょうか?

 

これこそ誤りである。

 

祈願が成就されるかされないかは、

私たちの方にその準備が出来ているかどうか、ということにもかかっています。

 

簡単な例をここに挙げましょう。

 「雨が神の恩恵であること」は事実です。

 

 しかし我々が土壌の障害物を取り除き、耕して種をまいておかなければ、雨による成果を期待することはできません。

「私にとって有益であるならば神は授けられるし、有益でないならば神は授けられない。」と、片づけてしまうべきではないのです。

 

 有益であるための基盤は、私たち自身が整えるべきなのです。

 “土壌の準備を整えるのは我々がすべき前提である“ことを忘れてはいけません。

 

ここでハディース(伝承)を紹介します。

 

 シーア派6代目イマーム・サーディク(AS)は彼の仲間にこのように仰っいました。

اُدْعُ وَ لاَ تَقُلْ إِنَّ اَلْأَمْرَ قَدْ فُرِغَ مِنْهُ إِنَّ عِنْدَ اَللَّهِ عَزَّ وَ جَلَّ مَنْزِلَةً لاَ تُنَالُ إِلاَّ بِمَسْأَلَةٍ

 

「ドゥアーしなさい!“運命は決められているのだ、何のためにドゥアーするのか?”などと言ってはならない。

人間は神の御許にドゥアーによってしか到達できない階位がある。」出典:第2巻الکافی

 

 

 私たちのドゥアーが、そこへ到達するのに相応しい価値を私たちに与えます。

この相応しい価値の獲得によって、我々は神から新たなものが与えられるかもしれないのです。

 

 “私たちはドゥアーをする必要はない!”などと、間違えてはならないのです。

私たちがドゥアーをするとこはつまり、準備を整えることである。私たちの仕事は土壌の基盤を整えることにあります。

 

 簡単な例を挙げることで、“ドゥアーの重要性”の解説を終えます。

 

 “ドゥアーをしない“ということは、まるで患者が「医者が、最善策となる処方箋を書くだろう。」と言って自分は何もしないようなものである。

 

 そうではないのです。

 

 自分は、まず医者の許に行かなければならない。

そして自分の病状を、医師に説明しなければならない。

それに基づいて医者に処方箋を書いてもらわなければならない。

これらの基礎なしに、処方箋が書かれることはありません。

 

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