カルバラの悲劇③

アラブの新年(正月)が喪の月に!

  • ニュースコード : 783180
  • 出典 : ABNA
Brief

ムハッラム月(イスラム暦1月)はアラブの正式なイード(新年、正月)であった。それが一体どのようにして世界のシーアの人々にとり喪の月となったのか?それはヒジラ61年に起きた「カルバラの悲劇」に所以している。

ムハッラム月(イスラム暦1月)10日(アーシュラーの日)はアラブの正式なイード(新年、正月)である。イスラーム以前の時代には、その日を断食をしどこの国でも新しい年の到来を祝うのと同様に祝宴を開いたものであった。そして新年のあいさつに行き来するために新しい服を身に着けた。

 

 ヒジラ61年カルバラの悲劇が起こったことでアラブの人たち、ムスリムたちの習慣に変化が起こった。ムハッラムはハラーム(禁じられた)の月であり、この月における戦闘殺害は禁じられていた。

 10日のアーシュラーの日にアーダムの子孫たちの中で最も優れた人物の一人、シーア派初代イマーム アリー(AS)の息子で3代目イマームのフサイン(AS)が殉教した。

このためシーアの人々にとりこの日は悲しみ嘆く日、殉教者らの追悼の日となった。

 

イマーム フサイン(AS)と仲間たちの一周忌にはおよそ1000人の人々が彼らの埋葬地に集まり命日の追悼行事を行い、哀悼の意を捧げた。

 

バニー ウマイヤとヤズィードによる支配の開始から今日まで、アフルルバイト(AS)を愛する膨大な数の人々がこの日に喪の追悼集会に参加する。

 

カルバラからは遠く離れた人々も自らの町で追悼集会を開く。

エジプトではファーティミーイーンが権力を握っていた時代、アーシュラーの日を哀悼の日としてイマーム フサイン(AS)の命日にちなんだ追悼行事を行っていた。他の者が権力を握った時代においても、ファーティミーイーンの人々はこの日を正式に喪に服する日としてきた。

 

またイランにおいても、アーシュラーは正式な国民の休日になっており、すべての人々が仕事から手を引き喪に服す日となっている。

 

イラン、エジプト、イラク、インドとその他の地域における考えの変化が生じた。それはムスリム(イスラム教徒)間の精神的な動きの発生であった。

それは、まさに今日のムスリムの動きである。

 

ムスリムたちはこれを追い求め、毎年確実にその実は熟しつつある。

ムスリムたちは自らの不品行を正し、自らの過ちを償い、自らの力と価値を高めている。

 

モスクとイマーム フサイン(AS)の追悼所においてシーアの人々は神を愛する人々の為、神の道で犠牲になった人々のために神だけに願い、又祈る。

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