最高指導者の考える唯一神信仰

第1章: 唯一神信仰とその世界観

  • ニュースコード : 793815
  • 出典 : Khamenei.ir
Brief

神の僕であることとは、すなわち自由であること、高潔であること、成長に向かうこと、成長に向け能う限りの手段を活用することである。

第1章: 唯一神信仰とその世界観

 

【唯一神信仰という言葉の意味】

 

唯一神とは、コーランの文化と教えによれば、すなわち、世界を創造し、全ての創造物の管理を理なっているのが、至高なる神、並び称するものの存在しない唯一の神である、ということであり、彼が世界の法則を定め、彼が人類の生活を営ませる法則を定めている、ということである。

 

唯一神信仰とは、すなわち、創造世界と森羅万象の秩序立った非常に驚くべき複雑なこの構造、太陽系の数え切れない無数の星と天体の壮大な星雲やホール、銀河から、何等かの姿、何等かの肉体の微細な細胞、細かい化学的な構造に至るまで、― この複雑かつ多様で壮大な構造の中には、数千もの法則によって論証されるほどの秩序が存在するが、その秩序が乱すことのできないものとなるとき、あの崩すことのできない創造の法則が適用される― それらは唯一の思想、管理、力によって創造されたものであり、偶然の産物ではない、と信じることである。この信念は、健全な頭脳、知識や思想を持ち、理性的で、様々な問題における先入観や決断における短絡さ、思考における性急さから程遠い人間であれば誰でも、認める事柄である。この複雑かつ驚異的な構造を生み出した、言葉では表現できない無限の偉大な力、思想、管理力、思考は、人類が作った偶像、神であることを主張するだけの人物、あるいは神話や伝説の象徴などではあり得ない。それはまぎれもなく、不滅の大きな力を持ったたった一つの本質ともいうべきもので、様々な啓示宗教が、『神』と呼び、人々がそのしるしによって知るものである。

 

唯一神信仰とは、すなわち、神以外の誰か、何かに対して服従し、従い、崇拝することから人間が解放されること。すなわち、人類の体制による支配という足枷から解放されること。すなわち、物質主義の悪魔のような勢力への恐怖という呪縛を破ること。すなわち、神が人間に与え、背くことのできない宗教義務のように、神から人間に与えられた無限の力を支えにすること。すなわち、抵抗や闘争、蜂起に立ち上がれば必ず、虐げられた者たちは抑圧者や高慢な者たちに勝利することができるとした神の約束を信じること。すなわち、神の慈悲に心を委ね、挫折を恐れないこと。すなわち、神の約束の実現を追い求める道において、人間を脅かす危険や艱難辛苦を厭わないこと。すなわち、道の途上の障害を神が解決してくださると信じ、最終的な勝利は自らのものだと希望を持つこと。すなわち、闘争において、社会をあらゆる圧制、差別、無知、多神教信仰から救う、気高い目標を目指し、道の途中や個人的に不首尾に終わった事柄の報いを神に求めること、総じて、自らを神の英知と力という無限の大海原に結びついていると見なすこと。最高の目標に向かって、不安を蹴散らし、希望を捨てないこと。イスラム教徒に約束された向上と栄誉の全ては、唯一神への深くきっぱりとした理解と信仰によって得られるのである。唯一神信仰に対する精神的、実践的な遵守と正しい理解なくして、イスラム教徒に対する神の約束が果たされることはないであろう。

 

【神の存在理由】

 

神をよりよく知る意味での自己認識の基盤の一つは、人間が、自らの本質、自らの弱点、自らの心のニーズを知ることである。人間の心の中には、それ自体が、神の存在理由になるものが存在する。それは何であろうか?それは神を求める気持ち、神への愛情、神へと惹きつけられる気持ちであり、それは誰の心にも存在する。物質主義者にもある。ただし、無知な人間はそれが何であるかを知らないだけである。

 

人間が、好きなもの、愛情、魅力的なものへと走ること、この傾向の根源、この人間の心の叫びの源は、神の魅力にある。ただ、暗闇にいる無知な人間は、十分な心の成熟を遂げておらず、それを認識していない。理解していないのだ。

 

【神への認識における理性の位置づけ】

 

唯一神信仰とは、神は存在する、それも唯一であり、2つとして存在しないと言うことに限られない。これは唯一神信仰の外観である。その内面は、無限に広がる大海原であり、神に愛された人間たちはそこに浸りきる。唯一神信仰とは、非常に広大な領域である。しかし、これほど広大な領域の中でも、敬虔な人間、イスラム教徒、一神教信者に対し、熟考と賢明な方法、思考力を支えに前進することが求められている。実際、理性と思考力こそ、人間を前進させるものである。もちろん、様々な段階において、理性は神の指導者たちの教えや知識という光、啓示の光によって浄化され、養われる。しかし、前進させるものは、理性である。理性なくしては、どこにもたどり着くことができないのだ。

 

【イスラムの基盤】

 

今日、イスラム教徒やイスラム教徒の国民たちに降りかかる災難や苦難はどれも、唯一神信仰の下での生活の源を見失ってしまった結果である。唯一神信仰とは、頭の中だけの事柄ではない。唯一神信仰とは、生活上の規範、秩序、実践的な事柄である。唯一神はイスラム教徒に対し、仲間と敵に対してどのようにあるべきか、社会制度の中でどのようにあるべきか、どのように生きるべきかを教えている。中には、唯一神信仰は、死後に関するものだと考える人がいる。しかし唯一神信仰は、今ある世界を創り、人生を築くものである。

 

イスラム教徒が唯一神信仰、神への崇拝へと向かえば向かうほど、圧制者による抑圧も少なくなるであろう。神への服従は、他者への服従、他者への従属とはあい並びえないものなのだ。

 

【イスラムの世界観における唯一神信仰】

 

どの思想も、世界に対して、独特の視点、独特の見方、独自の解釈、独自の理解を有している。こうした世界に対する独自の解釈、世界に対する見方は、世界観と呼ばれている。

 

唯一神信仰は、イスラムの世界観の一部でもあり、またイスラムの、人生を築く建設的なイデオロギーの一部でもある。唯一神は、イスラムのあらゆる法規の中に、魂のように存在する。心地よく優しい空気のように、イスラムと呼ばれる本体の全てに渡って存在する。新鮮で清らかな血液のように、イスラム、そして宗教と呼ばれる本体の至る所に存在する。全ての毛細血管にも存在し、唯一神信仰の色合いやしるしのないものなど、イスラムの戒律にはひとつとして存在しない。

 

イスラムは、世界と呼ばれるこの集合体全体が、上から下まで、ささやかな事物から存在感のある大きな事物に至るまで、微細な生き物や無生物から、最強の生き物、万物の霊長とされる人間に至るまで、この世にある全てのものが、非常に偉大な力に依存し、創造され、服従していると考えている。人間が目にするこの表層的なもの、経験的な知識の顕微鏡が覗ける事柄、感じ、触れることのできる全ての現象を超えた所に、どんな現実にも優る、気高く、愛すべき真理である神が存在し、世界のこれら全ての現象は、彼の力によって創り上げられたものである。その全てを超えた力に、神という名、アッラーという名がつけられている。そう、世界は、それ自体が独立独歩なのではなく、それ自体が自らを生じさせたのでも、内部から沸き起こったものでもなく、一つの力強く偉大な存在が、この様々な現象を創造し、生じさせたという一つの事実である。この様々な現象は、日々、科学が進歩するごとに、その姿を露わにしている。彼の生は誰かから取られたものではない。彼の知識は、どこかから手に入れられたものではない。彼は世界を掌握する所有者である。世界のあらゆる部分は、彼に対していかほどのものだろうか? 世界のあらゆる部分は、彼に創り上げられたとき、母親の手を離れる子供のように、もはや切り離されてしまったのだろうか? 否、そうではない。それらは、存在し続けるために、常に彼を必要とし、彼の力と彼の意志を必要としている。全てが彼の僕である。全ての存在物が、彼に創造され、彼に創られ、彼に従属する。彼はあらゆるものをその手に握り、あらゆるものを独自の秩序によって創造し、あらゆるものを、正確で規則性のある法と掟によって生み出し賜うた。この法則は、今日、科学によって解明されようとしている。

 

イスラムの世界観において、唯一神信仰とは、すなわち、世界は唯一の創造主、建設者を持ち、別の言葉で言えば、一つの清らかで優美な魂を有していることである。世界は創造者たる存在を持ち、この世界のあらゆる部分は、その現象を生じさせた神の手の中にあり、それに従属し、服従する存在と見なされている。

 

【イスラムの唯一神信仰における創造物の位置づけ】

 

イスラムの純粋な唯一神信仰は、あらゆる存在物や現象が、一つの場所から、一つの源から、一つの力によって創造され、作り上げられたとしている。全てが彼に対して服従し、全てが彼の力に頭を垂れる。全てが彼の指示に従わなければならない。何ものも他の存在に従う権利はなく、何ものも他者を屈従させる権利を持たない。

 

人間は他者を屈従させる権利を持たないのと同時に、他者に従ってもならないのだ。

 

それは、どちらの場合も、真理に反して行動することになるからである。馬の背に乗っている人は、彼の馬のひづめの下で、奴隷や下僕たちが苦しんでいたら、その人も、その奴隷や下僕たちと何ら変わりがない。

 

【一神論者の考える創造】

 

人間がイスラム教徒になったとき、その人にとって、全てのものが手段となる。広大な世界に到達するための手段。それは死後の世界ではなく、人間自身の見解、見方、考え方の世界であり、神の偉大さほどに広大なものである。全てのものが、人間にとっての手段であり、人間が神の満足を得られるようにするためのものである。現世での生活、現世での財産、現世での安楽、現世での愛情は、その人にとって、いささかの価値も意義もない。それが価値を見出すのは、神の道において存在するときである。しかし、もしこの愛情、この財産、この地位、この人生、この子孫たち、この名誉が、神の道や義務の道におけるものでなく、その道に据えられるのでなければ、その人にとっては全く価値のないものとなる。

 

【イスラムの世界観における人間】

 

イスラムの世界観における人間は、多くの才能を秘めた存在である。この人間は、創造の真理や道の事柄の発見、知識や科学の分野において、無限に進歩することができる。精神的な過程、心理的な段階を歩む中で、無限に前進することができ、天使たちよりも高みに昇ることができ、様々な力という点で、権力の頂点に君臨することができる。もし神を崇拝し、神に服従したなら、こうした道がその人の前に開かれるだろう。もし神以外のものに従ったなら、その人の翼は閉じられ、飛び立つことができなくなるだろう。あらゆる学問の分野において、唯一神信仰が人間の道に据えられ、人間はそれを知ることになる。イスラム初期のイスラム教徒が、無知と多神教信仰に覆われた当時の世界で、唯一神信仰へと舵を切ったことで、知識と学問の扉が開かれ、前進し、全人類はそれに続いて学問の領域に足を踏み入れるようになるほどに、自由と恩恵を授かった。今日、世界と人類は、その知識をイスラムに負っており、最初に学問の領域に足を踏み入れたイスラム教徒の唯一神信仰に負っているのだ。

 

【唯一神信仰という思想の存続の鍵】

 

唯一の神、アッラーによる地上の支配という考え方は、歴史の中で多くの敵を有してきた。神の預言者たちは、一体どのようにして、歴史の中で、自らの敵に勝利することができたのだろうか? ムーサー、ショアイブ、ユーシャ、ハールーン(といった預言者たちに)あれほどの圧力がかけられながら、イスラエルの民はどのようにして、かつて、世界中を支配下に置くことができたのだろうか? イスラムの預言者(ムハンマド)は、当時、たった一人で味方もなく、当時の無明時代の世界がこぞって彼に反対していた中で、メディナに移住し、統治政権を打ち立て、その統治政権によって世界を唯一神信仰の支配下に置き、歴史に新たな流れを生み出すことが、どうしてできたのだろうか? イランイスラム革命は、東洋と西洋に反対され、今日の物質主義世界のどこを探しても、擁護者を持たず、各国の国民だけが存在する中で、どのようにして成功したのだろうか? 歴史を通して、唯一神信仰の思想が存続したのも、イランイスラム革命が偉大な勝利を遂げたのも、一つの問題を鍵としている。それは、神の僕たちの中に、この目的や理想のために、自らの命を捧げる用意のある者がいる、ということである。殉教希求。もし殉教の追求が存在しなかったら、もし、人間によって、気高い目標への道に捧げられる命が存在しなかったら、イランイスラム革命は勝利していなかったし、イスラムの預言者が勝利することも、唯一神信仰が歴史の中で成功することもなかったであろう。これこそ、至高なる神が、神の全ての預言者、神の全ての宗教のために据えている取引である。神が買う、敬虔な人間から買う。彼らの命、彼らの物質的な存在、彼らの財産を。それに対し、彼らには天国が用意されている。これが、人々の間の殉教希求の精神であり、彼らを勝利へと導くものである。

 

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